大海原の真ん中を漂う船がありました。
船長は荒くれ者で、近眼のうえに、いくらか耳が遠く、船のかじ取りにはいささか問題がありました。
したがって船長と船乗りたちは、普段から船の進路を多数決で決めていました。
実は、この船には腕のいい航海士がいました。
彼は夜空の星の位置を見て、進むべき方角を割り出す達人でした。
しかし、彼は引っ込み思案で、あまり人気がなかったのです。
ある日、進路を見失ってパニックに陥った船乗りたちは、多数決の結果、いちばんカリスマ性があって能弁な乗組員の主張に従って進路をとりました。
有能な航海士の意見はあざけり、相手にしませんでした。
結局、船は陸地にたどりつけず、全員が飢え死にしてしまいました。
プラトンが作ったとされる逸話です。
テーマは集団が陥りやすい落とし穴、少し大げさにいえば民主主義の限界とでもいいましょうか。
もう少し具体的にいえば、問題の多いリーダー、多数決の危うさ、能力を知ることの重要性、カリスマ性への疑問、詭弁の限界などとなり、私たちの日常に溢れているテーマといえるでしょう。
こうした危機の際に我々は何を信じればいいのでしょうか。
誰の意見に従えばいいのでしょうか。
普段から腕のいい者の言うことに耳を傾けていればいいではないか。
それはそうでしょうが、それができないから悩むのです。問題が起きるのです。
我々は先の見えない危機の際に、多くの人の意見に従おうとします。
とにかく先を見たいためです。
先を見ることが目的になり、内容や根拠はどうでもよくなってしまいます。
多くの人が言っているのだから大丈夫だろうと安心したいのです。
民主主義は人類が生み出してきた統治システムとしてベストとはいえないまでもベターシステムであると私は考えていますが、先に挙げた例を見ると、民主主義にも限界があることを認めざるを得ません。
さりとて、強いリーダーに頼る権威主義にはもっと限界を、いや危険性さえ感じます。
結局、日頃から仲間同士で熟慮を重ねる、つまりよく話し合う癖をつけていないといけないのです。
そう考えるからでしょうか、話し合いに価値を置かず、何でもすぐにやろうとする人が目の前に現れると嫌悪感を覚えます。
民主主義はよく話し合うこと、参加者間での熟慮に価値があるのです。
時間をじっくりとかけて話しあうことを惜しんではいけないのだと昨今のスピード重視の風潮を見るにつけあらためて思います。