ミルグラムによる心理学実験、アイヒマン実験とも言われますが、ご存じの方も多いでしょう。

人間は閉ざされた環境下では自ら冷酷で非人道的な行為を行ってしまうことを再現した実験です。

ヒトラー主導の残虐な行為も実際に行ったのは普通の人間であることは、アイヒマンの裁判からも明らかです。

我々一人ひとりは弱い存在で、一定の環境下では想像できないような行為を容易に犯してしまう可能性があるのです。

 

この現象を身近な例に置き換えてみると会社での不当行為が思い浮かびます。

私が若い頃に実際に経験したことですが、当時私が働いていた会社の隣の事業部は売上の伸びが著しく、私の事業部は売り上げがさほど伸びていなかったこともあり、それは本当に羨ましいほどでした。

しかし、そんな時に何を思ったのか、隣の事業部の常務が粉飾を命じ、部下は素直に?命令に従い、事業部あげての粉飾決算が行われたのです。

アイヒマンのように人の生死に関わるほど冷酷なことではありませんが、信義に関わる法令禁止事項を集団で行ってしまったのです。

 

会社組織のように、一面では閉ざされた環境下では、権威のある者に命じられると、良心のある普通の人が信義則に反する行動を容易にとってしまい、これらのことは私が見た経験だけでなく、古今東西においてたびたび起きています。

こうしたことを起こさないために、ルールや規律を定め、様々な啓蒙活動を行っていますが、残念ながらなくなりません。外からの働きかけでは本質的に防止することはできないのです。

 

ではどうしたらよいでしょうか。

ルールや規律の制定、啓蒙活動は引き続き行わなければなりませんが、そうではないこと、すなわち人間の内面に目をむける必要があります。

それは一人ひとりの精神独立性です。最近使われる言葉でいえば自律性といっても間違いではありません。

これを口で言うのは易しいですが、実践するのは案外難しいものです。

先の例でいえば、常務の命令に背き、粉飾に手を貸さない行為がその体現になります。

自分は絶対に粉飾に加担しないと思っていても、常務に日頃から非常にお世話になっていたらどうでしょうか、あるいは部門の雰囲気が上司命令絶対だったらどうでしょうか。

 

精神独立性、あるいは自律性は容易に確立できないし、継続することも易しくありません。

自分一人で頑張ってみても限界があります。

人間は、人の間(あいだ)と書きますが、まさに間、関係のなかで人間の考え方は形成されるので、組織自体を精神独立性、自律性に溢れるものにしない限り、ミニ・アイヒマンを生む素地は残ると考えるのが妥当でしょう。

 

20世紀は工業型社会で統制型の組織を指向していました。

それは時代の要請でもありましたが、21世紀の今、優先度は変化しています。

人間社会、組織に一定の統制や命令は必要ですが、それに溺れることなく、一人ひとりの精神独立性が大切にされる社会をつくっていかなければならないのです。