今や非正規雇用の増加による雇用の不安定化や格差の拡大は大きな社会問題です。

しかし、非正規雇用の端緒が何であったのかを考えると我々はあまり賢くないかもしれないとあらためて思います。

 

1980年代までの非正規雇用は、主にパートやアルバイトの形態で、主たる業務の周辺にある比較的容易な業務を担うものでした。担い手は主婦や学生が中心であり、生計費の補助に役立てることが主な目的の働き方でした。

労働市場の需要と供給がマッチしていたともいえ、社会問題を生むような難点はなかったといえるでしょう。

 

その後、日本企業の業績が悪くなると、構造改革や規制改革の流れが生まれ、働き方や雇用法制もその影響を受けて1986年にいわゆる派遣法が制定されました。

今となってはご存じの方は少ないかもしれませんが、それまでは人材派遣は法律で禁止されていました。

なぜなら、人材派遣は建設業などで人材を派遣する手配師による所謂日雇いの扱いが主なものであり、そこにはピンハネの実態があり、好ましからざることであるという認識が社会にはあったからです。

そうした手配師による怪しい扱いと同様のことが、企業業績の低迷とともに、期間を限定した派遣型の雇用として持ち上げられ、ピンハネには目を瞑り、立派な業態として派遣業が確立されていったのです。

 

現在では必ずしも評判のよくない派遣法ですが、導入当初は企業のニーズと労働者のニーズがマッチした新しい制度としてもてはやされた感があります。そして企業はさらに調子にのります。

派遣型の雇用に加えて、契約期間と担当業務を定めた所謂契約型の雇用を拡大し、パートやアルバイト型の雇用が陽の目をみるように一見洗練された形で定着・拡大していったのです。

これらの非正規雇用は、企業にとってはフレキシブルな人材配置が可能となり、人的コストの削減につながり、働く側にとっては、自分のライフスタイルにあった働き方が実現できるものとして、雇用する側雇用される側の双方から一定の評価があるのも事実です。

すなわち、経済合理性と働き方のニーズが合致し、社会的に必要な制度として認知されている一面はあります。

 

しかしながら、企業はこうした形態にうまみを覚えたため経済合理性を追求し続け、そのため働く側は派遣労働や契約社員に活路を見出さざるをえないケースが増え、低賃金でキャリアパスを描きにくい不安定な状況に置かれる人々が増加し、不条理の色彩を帯びてきます。

 

当初は良かれと思ってつくった制度でも、思わぬ落とし穴がある典型が派遣労働であり非正規雇用の拡大でしょう。過ぎたるは猶及ばざるが如しです。

もとをたどれば、人材派遣を禁止していた1980年代までの価値基準を忘れたことに問題の本質があります。

働き方には様々な形態があってもいいですが、ピンハネや搾取を生むような雇用は避けねばなりません。

人の生活や人生が関係するのですから一定の規制が必要であり、人材派遣が法令で禁止されていた理由や背景を忘れてはいけないのです。