生活給とはどんな概念でしょうか。
意味はなんとなくわかりますが、人事施策や制度を考える際に頻繁に話題にのぼる概念とは言い難く、人事関係で日常的には口にすることはなく、あまり重視されていない概念かもしれません。
しかし、実態を見るとそうでもないことがわかります。
労働政策研究・研修機構の調査(2013)によると、全国7409社の常用雇用者を対象としたデータですが、生活に関連する給与として、通勤手当を89%の企業が、家族手当・扶養手当は47%、住宅手当は32%の企業が支給していると報告されています。
これらの支給の根拠は言うまでもなく、仕事の能力や成果とは全く関係のない個人の属性にあり、各自の生活に配慮した気配り型の処遇ということになります。
こうした手当がない企業も少なくありませんが、多くの企業では、中高年の給与が相対的に高く若年は低くなっており、発揮成果や能力だけでは説明がつかない状況にあります。
これは中高年になれば多くの人が家族をもつことで、衣食住はもちろんのこと教育費にもそれなりの金額がかかるため、そうした生活への配慮として年齢傾斜型の給与となっていると考えるのが妥当でしょう。
つまり、日本の給与には生活給思想が底流に色濃く流れているのです。
そうなった経緯はともかく、実態がそうである以上、生活給の思想を排した処遇を行うことは得策ではありません。
最近は、給与は成果に応じて払うべきだ、担当している職務に応じて払うのがフェアだ、といった欧米企業に倣った考え方を口にする方が増えてきているように思います。
給与は仕事を基にして考えるべきだとすればそうかもしれませんが、実態がそうなっていないのは、文化・風土の影響を受けて形成されており、さらに言えば、多額になる住宅費や教育費を国がそれなりに負担している欧州諸国とは異なり、多くを個人が負担しているわが国では、給与を仕事軸だけで決定するのは無理があると考えられてきたからでしょう。
処遇格差の問題が表面化し、岸田首相が分配を再考すると表明しました。
子供の貧困が13.5%、260万人にもなるという調査結果もあります。
経済を活性化させ、賃金上昇を実現し分配を再考することはもちろん必要だと思いますが、そのプロセスにおいて生活給の視点は欠かせません。
稼げないのは努力が足りないからだと言って弱者を切り捨てる一面的な発想は、日本人が古来より大切に培ってきた集団主義、相互協調主義とは相いれないものです。
また、仕事給だけの場合、住宅費や教育費などに関連する国の制度も相当変更を余儀なくされ、そのコストをどう負担するのか、まさに国家的な構造変革が必要です。
給与は仕事に応じて支払う、当たり前のようでけしてそうでもないことを忘れてはいけません。