「大和心」と聞くとどんなイメージを抱くでしょうか。

「大和魂」が頭に浮かび、戦争に際して強さや自らを犠牲にしても国家や組織に忠義を尽くすイメージを思い描く方はだいぶ新しい観念を持っているということになります。

「大和魂」は明治以降の国家主義の拡大、定着に使われ、国家への犠牲的精神と他国からの優位性を表わす表現とし用いられ、今もスポーツなどで自らを鼓舞するために使われたりします。

しかし、本来の「大和魂」とは、犠牲的精神や忠義を尽くすことではなく、論理や理屈を超えた、つまり理(ことわり)のないことに美や価値を見出すことを表わしているのです。

 

「大和魂」は平安時代から使われていたとされ、源氏物語に源氏の言葉として次のように記されています。

「才(ざえ)を本(もと)としてこそ、大和魂の世に用いらるる方も、強う侍(はべ)らめ」

(大和魂を世の中でうまく使うためには、才(学問)を身につけておいたほうがよい)

つまり、大和魂は学問と対比して日常的に使う知恵のようなものとして用いていることがわかります。

 

江戸時代になると本居宣長により、「漢(から)心」に対比して「大和心」があるとして、日本人に備わる能力としての位置付けがされるようになります。

「漢心」は科学的知識、論理を表わし、「大和心」は科学では説明できない、情緒や人情を把握し共感することを意味します。

また、宣長は源氏物語に「もののあわれ」を発見し、「もののあわれ」を知ることは人の心を知ることだとして、「大和心」に欠かすことのできない大事な心性であることを説明しています。

宣長の啓蒙により、我々は今でも「もののあわれ」といわれると、うまく説明できませんが、無常で切なく、美しい、大切にしたい感性を思い描くことができます。

 

日本人が古来よりもつ感性を表わす言葉である「大和心」が一時期戦争での国威発揚に使われたことは残念ですが、だからといって「大和心」を過去に葬ってはいけないでしょう。

「もののあわれ」として深く心に感じることを大切にして、論理だけではない世界を認識し、日常に活かすことは古来より日本人が行ってきたことなのです。

それがあったからこそ、欧米から技術や知識を導入しつつ、欧米の二番煎じではない、日本独自の制度や構造を作りあげることができたのだと思います。

 

今の時代における「大和心」や「もののあわれ」とはいったい何を意味し、どう活用していけばいいのでしょうか。

ビジネスとは関係ないと思われる方もいるかもしれませんが、ビジネスも人間活動ととらえると、情緒や感情を抜きにしてとらえるのは無理があります。

グローバリゼーションやITなど少し前にはなかった事象がどんどん迫ってくる、変化が非常に速い昨今ですが、そういう時だからこそ、「大和心」や「もののあわれ」といった我々日本人がもつ心性を振り返り、それを大切にしながら新たな道筋を描くことが必要なのではないでしょうか。