コーチングや対話型組織開発では「問い」が重視されます。
人事評価、目標管理面談などでも「問い」は有効です。
問いかけることで、相手の思考の質を高め、新たな視点を生み出すきっかけになるものです。
そういった「問い」の有効性は理解しているつもりですが、問いかけなければならない場面で自説を滔々と述べてしまうことは少なくありません。
私は散々やってきました。
部下の能力向上にうってつけの業務課題があったとします。
まずはやらせてみるでしょう。
そして進捗確認です。その時に「問い」を多用して状況報告をさせます。
「今はどんな状況?」
「どうしてそう考えたの?」
「その時どう感じた?」
「どこが問題かな?」
「どうしていきたい?」等々
部下がすらすらと答える場合はたいてい「問い」もスムーズですが、スムーズに答えられるケースは少なく、我慢ができなくなって自説開陳が始まってしまうのです。
これは人間がもつ“社会的習性”なのだろうと思います。
自分は理解しているということを示したい、上司や先輩としての体面を保ちたい、教えなければならない立場を明らかにしたい、自分のほうが知っている、など理由は様々でしょうが自分の存在を誇示したいのです。
承認欲求のなせる業と言ってもいいでしょう。
学校教育の影響で教えることが考えさせることよりも上位概念として体に浸みこんでいるのかもしれません。(最近の学校教育は考えさせることを重視しているように聞いていますが)
一方、人間は自分と周囲との境界を適切に保つ、関係を良好に維持したいと思っています。
そのために役割をきちっとこなす、相手への敬意を表す、時には愛情を表現するといったところでしょうが、これらは換言すれば、信頼の構築と責任の行使であって、相手のために何をするかその行為の内容が問われているのです。
「問う」ことは、まさに相手のために行う行為ですが、どうも勘違いしてしまうことが多くて困ってしまいます。