職場における学びとはどう定義されるのでしょうか。

 

知識やスキルを修得することはもちろんですが、職場の学びはとは、他者との関係性を土台にして学び方を体得することではないかと思います。

 

ウェイブとレンガ―が“伝統的周辺参加”と表現して職場における学び方の実態を指摘しました。

新人は始めに周辺業務から経験し、慣れるにしたがって徐々に中心業務を担当するようにして習熟していきます。

そこには体系的なマニュアルはありません。言語で伝えるにはあまりにも多くの事項が職場には溢れているからです。

大切なことは言語で理解するのではなく、経験を通じて体得するものでしょう。

しかしながら、職場の学びというと、学校教育の影響からか、職場を離れて学ぶ“研修”を頭に思い浮かべる人が多いように思います。

 

私は長く企業で人材育成を担当していたのですが、人材育成には研修を充実させるべきと唱えるマネジャーが多かったと記憶しています。

もちろん、研修の意義はあると思いますが、研修が学びの中心とはいえないでしょう。

働く場で様々なことを経験してそこにある“何か”を掴むことが重要で、さらにいえば、“何か”を掴む方法も体得する。それが職場における学びではないでしょうか。

そう考えれば、上司や経験者は下位者や未経験者に対して経験する機会を与えて、小さな成功体験を積ませ、自信を与えながら自分なりの考え方と方法論の形成を支援することが学びの支援といえそうです。

知識・技術を伝えることは必要ですが、それだけでは不十分ということです。

 

マネジャーが新人研修直後に、「うちの新人は研修で何も学んできていない、研修で何を教えていたんだ。」とクレームを言ってきて困ったとある企業の人材育成担当者がこぼしていました。

働いたこともない新人が研修でどこまで理解できるものか、期待値にもよりますが、多くを期待できるものではありません。

上司や経験者は、職場における学びとその支援にもっと注力して欲しいものです。

 

自転車に乗れない子供に、乗り方を説明するだけで済ませる親はいません。

最初は補助輪付きに乗せ、慣れてきたら補助輪を外し、後ろを持って倒れないようにしながらバランス感覚を身につけさせ、状況を見ながら徐々に支える力を軽くしていくものです。

親であれば自然に出来ていることを職場になると出来なくなる。なんとも不思議です。

 

職場には、人間として普通にできることができなくなる魔力が潜んでいます。

人間性を省みて、もっと優しく、職場の学びを考えたいものです。