知恵と知識は違うものです。
知識は言語化しやすく伝えやすいですが、知恵は言語化が難しく伝えにくいものです。
知恵は心と体、感性にも関係するものであり、経験がないと持ちえないものでもあります。
知恵は自分しか再現できない“何か”なのです。
“習うよりは慣れろ”という言葉は知恵の修得について見事に表現していますが、知恵の修得に必要な取り組みや体制を充分に整えている組織は少ないのではないでしょうか。
情報化社会ということもあり、知恵よりも知識を重視する風潮があるように思います。
知識はもちろん必要であり、それがなければ知恵も生まれませんが、知識があったからといって必ずしも価値を生み出す行動ができるとは限りません。
たとえば、営業を例にとると、自社の製品の説明ができれば売れるかといえば、そうでないことは明らかです。
顧客との信頼関係を構築し、顧客にとって必要十分な情報を提供するためには知識だけではとうてい無理で、信頼関係をどうしたら構築できるか、相手に合わせた関係構築や、顧客がどういった情報を求めているか聞き出すための知恵が必要です。
知恵を修得するには、周辺業務から職場に参加し、仕事に関係する様々な業務を経験し、熟達者の様子を観察し、何をどう学ぶかを自分なりのいわば“上達の術”を確立する必要があります。
こういったことは多くの職場で OJT という言葉で語られていますが、新人にメンター制度など導入していても、他の職級には特に対応せず、リーダーに対して上手くやれと半ばぶん投げというのが現実ではないでしょうか。
また他の現実として、もっと手っ取り早く知恵を修得する方法はないのかといった要請に対して、“○○を短時間で修得するためには”、“□□のための5つ(3つでも7つでもいいですが)の方法”などと書籍や研修でうたっているのを見ると、要請する側も提供する側も知恵と知識を混同しているような気もします。
知恵は言語化や可視化にはなじまず、書籍や研修などで修得できるものではないと思うのですが、ビジネスでは効率的に行うことが尊重されるため、知恵の知識化といったような現象が起きるのでしょう。
伝えることが難しいこと、言語化・可視化が難しいことに価値を見出さない世界に限界を感じるのは私だけでしょうか。
知恵をもっと大切に扱い、知恵の修得を昔からの教えを大切にしながら考え続ける必要があるのではないでしょうか。