VWの不正事件が世界を驚かせている。ドイツを代表する企業、VWが排ガス規制をクリアするために不正プログラムをエンジンに装備していた。常識では考えられない、どんな作為的判断があったのかと思うだろうが、実は組織ではどこにでも起こる行為であり、明日は我が身の事象である。それは集団思考と呼ばれるもので、条件次第では容易に陥ってしまう、いわば集団による錯誤である(集団浅慮ともいう)。条件としては、強いリーダーがいて、集団として凝集性(まとまりの良さ)があり、意見の一致が見られ始めると、意見への同調圧力が強化され、他の意見を排除し、意見の異なる他の集団に対しては無視・排斥・攻撃し、ますます自らの意見に執着してしまう現象をいう。異なる意見を省みなくなるため、その判断に問題がある場合大きな事件・事故につながる。
今回の件は、“テストと通常の走行にはそもそも違いがあり、通常走行において排ガスが規制を越えてしまうことはやむを得ない”と考えていることに発端がある。燃費のテストでは、結果数値が通常走行時の数値とは大きくかい離していることは多くの人が知っている。排ガス規制についてもそれと同じで、ある程度のかい離はやむを得ない。問題はここからである。VWの特殊性はテスト走行を感知するプログラムを忍ばせ、相手にわからぬように結果をより良くする見せることを意図したことにある。最近の自動車エンジンはコンピュータープログラムにより走行性能と燃費や環境への影響をバランスさせるよう非常に高度な調整が行われている。コンピューター制御が行われているなかで、テスト走行に見合ったプログラム作成は、むしろテストに対して真摯に向き合っているのだと考え始める。途中で誰かが違法性を指摘しても(プログラムを共同開発したボッシュから指摘があったとの報道もある)、集団思考に陥ると耳を傾けず自己正当化を強化し相手を攻撃したりする。さらにいえば、このケースではテスト対応で相当の開発コストがかかっており、途中で中止することはそのコストが無駄になる。かかったコストを回収しなければという意識も強く働く(ノーベル経済学賞カーネマンのプロスペクト理論。費用を損失と感じ過大に捉えてしまう。)。このあたりまでくるともう自己正当化の力学は止まらなくなる。組織をあげて突っ走る。この現象は枚挙に暇がない。会計操作の東芝しかり、いじめ対応の教育委員会・学校しかり、どこかの政党もそうであろう、例をあげたらきりがない。
集団思考を避けるためには、なによりリーダーの意識が重要で、常に反対意見、異なった意見を奨励し耳を傾ける姿勢が求められる。意見の一致は美しく心地よいが、口当たりのよい酒のようなものである。飲み過ぎは、悪酔いはおろか体を壊す。
