ブラックデーかよ… | サウダージ吟遊記(在米)

サウダージ吟遊記(在米)

在米ボサノビスタのサウダージな日々を書き留めます

「ブラックデーかよ」というボサノバ曲を書いた。しかし、また今年もブラックデーかよ。毎年4月14日、いつまで続くんだ?これがニーチェの言う永劫回帰か、永遠と同じことが繰り返される、ブラックデーという永遠のループ、無限のループ。私が唯一ブラックデーというループから、娑婆の苦しみから解脱する方法、それは再び若くなること。そして青春を謳歌すること。つまり回春。しかし神様は未だにその願いを叶えて下さらない。だから悪魔メフィスト・フェレスにもお願いしてみるがメフィストは私の前に一度も姿を見せない。きっと架空の登場人物なのだろう、人物というより神仏か。悪魔も神だからな。阿修羅も悪魔だが元々はペルシア系の神だからな。だから困った時の神頼みで、それで神も悪魔もダメなら最期の頼りは仏様だ。仏様の慈悲の力で、お釈迦様の、弥勒仏の、阿弥陀様の、観音菩薩の慈悲によって若返り、青春を取り戻したい!この通りです、神様仏様!どうかジジイまっしぐらのオッサンに再び青春のチャンスを!だから回春漫画(アニメ)の『ReLife』を身を乗り出して食い付くように観てしまった。特に満開の桜の下で女の子と手を繋いで歩けなかった後悔、日本の四季を感じながらセーラー服(もしくはブレザーとカーディガンとリボン)の少女と恋が出来ずに卒業してしまった人生の無念。夏祭りで花火の下、寺社の境内の丘から手を繋いで「たまや~、かぎや~」と一緒に叫ぶ浴衣デートができなかった無念、イルミネーションのキレイなクリスマスイベントを経験できなかった無念。あぁ、そして今やそれらの日本の恋しい恋い焦がれた四季の情景から何千マイル離れた異邦人としての外国暮らし。かつては憧れたアメリカ、私の尊敬するジョビンとジョンレノンが晩年を過ごしたアメリカ。しかし、聞いて極楽見て地獄、蓋を開けてみると世界で最も過酷で冷徹な資本主義国家。しかし私が渡米した目的、実際に行きたかったのはジョンレノンが独立宣言したニュートピア(nutopia)だ。しかしそんものは存在せず現実はただ生存競争原理だけが渦巻く地獄でサバイバルするだけの「自由の大地」、しかも白人マジョリティー社会だと最もモテないアジア系オッサンというさらに人種的制約とハンデに抗いながら。その現実から逃避するため青春アニメ、特にラブコメを見て一時的に若くなった気分になるが、ビンジウォッチング(一気観)の間のトイレ休憩で洗面所の鏡に写った自分の姿は頭髪の淋しいオッサン。そもそも回春なんて漫画の世界の設定だけで実際は老化する一方、逆行は残念ながら不可能。さらにオッサンなのに青春を諦めきれずもがいていたら「変態」呼ばわりされて社会から糾弾される。それが私のスカーレットレター。スカーレットレターとは「赤い頭文字A」のことで、つまりスティグマだが、私の場合は頭文字Hだ。「変態」という名のHだ。そう、頭文字エッチだ。それが社会的スティグマ、人間社会の煩わしさだ。オッサンが青春を欲すると世間からキモいと迫害される大罪、だから私は世間が嫌いなのだ。より私の厭世家ぶりをパワーアップさせちゃうのだ。それがオッサンになることのサウダーヂ。ブラックデーはそのどうしょうもない、どうにもできない現実感を最も顕著にさせるヤバい日なのだ。もしまだ私が若ければまだブラックデーを回避するチャンスがあったが、オッサンになってしまった今、墓に入るまでずっと毎年ブラックデーだ。それは変えることの出来ない運命。それが私の末路、ジャージャー麺という末路なのだ。それが人生における「冷飯を食わされる」こと、いやこの場合は「冷麺を食わされる」か。あぁ、ジャージャー麺食べたくねー。