<前回からのつづき>
ツレは一体どこへ消えたのか!?
颯爽と車を降り立ったはずの僕はうろたえた。まさかボーズを連れて行かせない為にCIAが彼女を連れ去ったのか!?
慌てて辺りを見回すと、ツレは僕を一人置いておばあちゃんの家の玄関を開けて「こんにちは~」などと言ってずかずかと中に入って行くところではないか。
つまり僕はすっかり遅れを取っていたのだ。いかんいかん。胸など張って気取っている場合では無い。僕はあたふたしながらヘコヘコと後について「あ、コンチハどうもどうも」などとぶつぶつ言いながら頭を下げ下げ玄関に入ったのだった。何がCIAだっての。次は本当に連れて行かれちゃえ!(八つ当たり)
おばあちゃんは寂しそうな表情で僕たちを出迎えてくれた。気持ちは良く解る。仔犬とお別れしなければならないのは辛いでしょう。それでも心構えはすっかり出来ているようだった。彼女は毎年こんなふうに別れを重ねているのだろう。そう思うとその皺のひとつひとつにその悲しみが刻み込まれているようにも見えた。人生とは別れの積み重ねなのかも知れない。
仔犬はすでに、ボーズと名づけられる運命となった男の子一頭を除いて全て別のお宅に引き取られていった後だった。実は別の日に訪ねて来た人が彼を気に入ったのだが、おばあちゃんは僕の膝にしがみつく彼の姿を憶えていて、この子は引き取り先が決まっていると言って断ってくれたのだった。
ああ……何と言う事だ。僕の胸に感謝の念が瞬間的に溢れた。本物の感謝と言う感情とはこんなふうに自然と湧き出てくるものなのだと僕はその時知った。本物のそれは、然るべき状況になった時に胸の内に泉のように湧き出でて、心ごと身体ごと占領してしまうものなのだ。「ありがとう」という言葉は、感謝を感じている事を相手に伝えるための記号に過ぎない。
僕の感謝は心から溢れ出し、両目から水分となって流れ出た。おお何と言う事だ。感謝という感情は水分へと実体化するものなのだと僕はその時発見した。これは凄い発見である。発表すべきはネイチャーだろうかそれともサイエンスだろうかはたまたナショナルジオグラフィックだろうか。
しかし本当に相応しいのはムーあたりでしょうな。
ムー2004年9月号
僕は感謝の気持ちを両目から止めどなく流しながら声も出せずにおばあちゃんに頭を下げ、仔犬に手を伸ばす。おばあちゃんのおずおずとした手つきで差し出された仔犬は、僕に大人しく抱かれ、感謝を湛えた僕の両目を覗き込んで天使の笑顔で僕に笑いかけた。僕とボーズが心から通じ合った瞬間だった。そんな僕を呆れたように見るツレ。奴はこの時の僕を「泣いていた」などと言ったが、なんと浅薄な表現だろうか。その時僕の目に溢れていた水分は、感謝という感情が実体化したものなのだ。仔犬よりも人間洞察力が無いぞ君は。
鋭い洞察力を秘めた瞳
その時だった。その家のお母さん(つまりおばあちゃんから見ると息子のお嫁さん)が叫んだ。
「まだ行かないで」
!!……ど……どういう事ですか?
僕は焦った。ここに来てまさか連れて行くななどと言われるとは想像すらしていなかったのだ。
お母さんは言った。
「ボーズくんって名前にしたの?ボーズくんを連れて行く前に、最後のお別れをさせて頂戴。お願い」
そう呟くように言って、お母さんは僕の胸の中のボーズにそっと手を伸ばした。僕は再び感謝とは違う涙を流して、お母さんの手にボーズを渡した。
ボーズくんはそのお宅でかなり愛されていた様子で、おばあちゃんやお母さんだけでなく、ご主人も彼を抱き上げて頬擦りなんかしていた。その目にはもしかしたら薄っすらと涙なんかも浮かんでいたかも知れない。
僕とツレは涙目になって微笑みながら、もう一度一家全員のお別れの挨拶が終わるまでしばらく待たなければならなかった。皆、本当に名残惜しそうにしている。ご主人も、奥さんも、娘さんも、小学生の男の子も、そしておばあちゃんも。僕もツレもしばしもらい泣き。
こんな家族の中で生まれた仔犬ならば、きっと愛情に溢れた素晴らしくいい子に違い無い……と思っていた。本当にそう思っていたのだ。迂闊にも(笑)。
次回、青い流星号にとんでもない悲劇が!焦らず待て!……って下さいね。
お願いします。ペコリ。