わたしって何だろう。毎日考えているつもりになっているのだが、まだ答えが見つからない。
信心の決定がふらついているのである。
何故かというと往くべき道が定まっているようでまだ、その道を疑っているのです。
しかし疑う事がなければ確信的な信心は生まれないのかも知れません。
何故、自分が求めている信心を疑うのだろうか。
もうすでに決定しているにも拘らずにまだ疑っている。
とてもじゃないけど仏さまは面倒見切れないと思ってもおられることでしょう。
しかし御仏はそのようなお前であればこそ決して見離さないと約束して下さっておられるのです。
そのようにお前は迷い疑い悪業を繰り返し、煩悩まみれであればこそ救い取って見離さないと誓願されておられるのです。
何とかたじけない己であろうか。
しかしその真実が分からない出来損ないなのです。
その御光に気づく事こそが信心を獲得したということなのでしょう。
宿業と煩悩が邪魔していても己が罪多き悪人であり煩悩だらけな凡夫なりの自覚の繰り返しで、その暗雲の上の御光に達することができるのです。
どす黒い雲の上に達するならば青空一杯で太陽が輝いている世界に超越する事が出来るのです。
悪人の自覚と煩悩だらけな己を見つめずして御仏は現れては下さらないのではないでしょうか。




