美しいと感じる人は醜い真相を見極めているからこそ美しさを感じるのではないでしょうか。
叔父が趣味で絵を習い描いています。
心が清らかなのでしょう。
その絵を見せてもらったことがありましたが全ての絵が綺麗で魅力がないのです。
唯、綺麗な絵なのです。
多分、人間の醜さ、暗さ、弱さなどを余り深く考える事がなかったからではないでしょうか。
苦労をした人は苦労しない人よりも魅力があります。
魅力のある人とは苦労した人の事です。
しかし先天的に魅力のある人もいます。
将棋の藤井聡太六段や大リーガーで活躍しているロサンゼルス・エンゼルスの大谷翔平選手などの行動と言葉などを聞いていると優しく強く明るく決して威張らず人間離れした始めから謂わば仏さまのような人です。
他人との競争ではなく己の成長に標準を合わせ生きがいとし、楽しんでいるのです。
そのような人は何万人に一人位しかおられないのではないでしょうか。
威張らない高慢にならないという事こそが人としての魅力の現われのようです。
しかし殆どの人は逆の生き方をしています。
人からは褒められたい、威張りたい、人を蹴落としたい、勝ちたい、殺してしまいたい、というような邪念を抱え持っているのです。
己の成長を生きがいとし楽しむなどが出来ないのです。
そのような邪悪な心の持ち主に幸せをもたらしてくれる教えがあるのでしょうか。
それには自らの罪多き悪人である事の自覚と、すでに御仏に救われているにも拘わらず仏の光をさえぎっている煩悩を見つめなければなりません。
わたしは悪人としての自覚とは毎日多くの生きものの命を奪って平気で生きている人間であるという意味の悪人を意識するということだと思っています。
地獄を知ってこそ極楽浄土が現われるのです。
声を出して己の悪心と煩悩の浅ましさを仏さまにさらけ出し申し述べるのです。
その事を繰り返していると自ずと弥陀の光がさえぎられることなく己の心まで届くようになるのです。
煩悩だらけな悪人であるままで弥陀の光が己に輝いてくださるのです。
それが南無不可思議光をいう光なのでしょう。








