昨日は親鸞聖人の月命日で坂東市の妙安寺さんに参りました。
建てられて10年程経った本堂で御住職と二人で正信偈を称えさせて戴きました。
本堂は浄土のイメージを表わしているとも言われています。
何億もかかったであろう素晴らしい本堂で目の前に阿弥陀様、傍らには親鸞聖人の像と開祖である成然坊の像、是こそが正に極楽浄土の真っ只中にいるのではないだろうかと思いました。
これが真実なんだ、それが己の煩悩が邪魔して観えないだけなのだ、本当は自分は世界一の幸せものなのだと気づかされました。
極楽とは極楽浄土の事です。
さて、その極楽浄土とはどのような所なのか、人間に生まれたからには何が何でも往かなければならないとも言われます。
しかし、その世界の素晴らしさを知らなければ往こうにも往きようがありません。
人は皆、幸せになりたいと心の底では思っています。
しかし、その幸せとは何ですか、と多くの人に聞いたとしても鮮明に答えられる人はあまりおられないのではないでしょうか。
その究極の幸せとは極楽浄土に生まれる事です。
極楽とは、阿弥陀仏の浄土であり、「幸福のあるところ」「幸福にみちみちているところ」という意味です。
『いまをさること十劫の昔、阿弥陀仏は成道して西方十万億の仏土をすぎた彼方に浄土を構えられた。
そして、現在でも、この極楽で人々のために説法している。
この極楽という仏土は広々としていて、辺際のない世界であり、地下や地上や虚空の荘厳は微をきわめ、妙をきわめている。
この浄土にある華池や宝楼、宝閣などの建物もまた浄土の宝樹も、みな金銀珠玉をちりばめ、七宝乃至は百千万の宝をもって厳飾されている。しかも、それらは実に清浄であり、光明赫灼(こうみょうかくしゃく)と輝いている。
衣服や飯食は人々の意のままに得ることができ、寒からず暑からず、気候は調和し、本当に住み心地のよいところである。
また、聞こえてくる音声は、常に妙法を説くがごとく、水鳥樹林も仏の妙説と共に法音をのべる。したがって、この浄土には一切の苦はなく、ただ楽のみがある。
この世界では仏の無量寿、無量光と同じく、一切の人々もまた無量寿、無量光であり、智慧と慈悲とにきわまりがない。
常に法楽をうけ、諸仏を供養し、出でては苦の衆生を救済し、化益することができるのである。
しかも、この国土は法性の理に応ずる無為涅槃界であり、一切の衆生を導き救うために仏によって構えられた世界であると説かれています。』








