縁とは不思議なものです。
求める心が大きければ、いつかはその求めるものがやって来るようです。
本棚に向谷田匡史(むかいだにただし)著の「親鸞の言葉・明日を生きる勇気」と言う本がありました。
以前、買ってあった本ですが読んだ形跡もなさそうでした。
驚いた事にわたしと同じ拓大出身で2学年下の後輩で、浄土真宗本願寺派の僧侶なのです。
その本の中で「生きる目的」について分かりやすく書かれておられます。
冒頭の書き出しがいい。
『「坊主は大嫌いなんだ!」高利貸しの日野左衛門が、日頃の鬱憤を親鸞にぶちまけた。
「だってそうだろ?葬式だ、法事だと言っちゃ、訳のわからねぇお経を読んで銭を持っていくし、たまに説教すりゃ、地獄だ、極楽だと死んでからのことばかりしゃべってやがる」
一気にまくしたてると、親鸞にこうせまるのだ。
「何で坊主は、生きている人間に“生き方”を教えねぇんだ、どう生きるかをよ。こちとら、どう生きるかで、朝から晩まで一所懸命なんだ」
---そのような日野左衛門が親鸞の教えをこうむり仏弟子になったのです。
そのいきさつは次のようなものでした。
ある年の冬、親鸞が門弟二人と布教していると吹雪になったので一軒の民家を見つけて一夜の宿を請うたところが「出て行きやがれ!てめぇのような善人ぶったツラを見るとムカつくんだ!」
怒鳴って親鸞を突き飛ばしたのが、高利貸しの日野左衛門である。世をすねた男で、借金の取立てが思うようにいかず、この夜は悪酔いしていた。
親鸞たちは、やむなく軒先で休むことにした。日野左衛門が寝ていると夢枕に観音菩薩が立ち「今、汝の門前に尊い御方が休んでおられる。
直ちに参って教えをうけよ。さもなくば、未来永劫、苦悩に沈むぞ」そして門前に駆け出し親鸞たちを家の中に招き入れたのでした。そして「坊主は大嫌いなんだ!」に繋がったのです。
親鸞の答えは「どう生きるかも大切ですが、何故、生きるかと言う事はもっと大事だとは思いませんか」
「何故、生きるかですか?」「阿弥陀如来がお約束したとおり、救われて、“絶対の幸福”になることこそが人生の目的なのです」と諭したのでした。
「しかし、悪いことばかりしているあっしだ。阿弥陀様が救ってくれるわけがない」
そして親鸞は殺生について話したのでした。
「自殺とは自分で生きものを殺すこと、他殺は他人に命じて殺すこと、そして他人が殺生しているのを見て楽しむような気持ちになれば同罪、誰でもが極悪人なのです。
そのような極悪人だからこそ阿弥陀如来があらわれてくださり、我を信じよ、必ず救うと誓っておられるのです」と。
そしてその日の内に仏弟子になったのでした。
我々は毎日多くの生きものの命を奪って生きています。
その奪った命に対して阿弥陀如来の信心を戴き“絶対の幸福”に到達する事が人間の義務ではないでしょうか。







