今日は久しぶりに事務所に来た職員さんからいろいろ話を伺うことができました。
その話には、障害を持つ方の性に関することが多々聞かれました。
職員Fさん:「車いすでそういう店(風俗店)に行くのなんか無理やし、そういう所は車いすで行くような所じゃない
でしょー?」
僕は最後まで、fmfmと話を聞いてました。
聞いているだけで、それについて特に何かを言うことは控えました。
職員Fさんは、ほとんど僕らと連絡が取ることが難しいくらい孤軍奮闘して仕事をしてくれてて、せめてこうして事務所に来れたときは、その話を傾聴する必要があったからです。
・・・で僕が言いたかったこと、次回Fさんとそのことで話をするときは・・・
風俗店に行くことは、無理かどうか?と言えば無理ではないこと。
無理かどうか?と判断するまでに、まだまだできていないこともあるんじゃないか?ということ。
風俗店には車いすで行くような場所ではないか?と言えば、そうではないこと。
むしろ、なぜ車いすで行くような場所ではないか・・・それは意識的にあるいは無意識的に、「風俗=やましいこと」のタブー化が職員Fさんにされている部分もあるのではないか?ということ。
もしも、そうなのであればなぜタブー化されているかをよくよく自身で解体してみてほしいということ。
僕は風俗に行くことは娯楽のひとつだと考えています。
映画を見に行ったり、野球を観戦しに行ったり(僕は行きませんが)、メイド喫茶に行ったり(僕は行きますが(ry)、それらと同じ娯楽のひとつだと考えています。
いつの頃か、障害を持つ人が性に対する欲求を持ったり、それについて話をしたり、あるいは性行為に及んだりすることはタブーとされているのは、やはり差別ではないか?と考えています。
障害を持っていても、「障害者」とカテゴリ化されても、その前にまず1人の人間として尊重すべきだと考えているからです。1人の人間として自身と平等なのだから、まずその時点でタブー化されることはおかしい。
障害を持っている・いないの時点で平等でないのだとしたら、障害を持っていることは、もっていない者よりも劣等であるという図式になるではないでしょうか・・・。
何が劣等で、何が劣等でないか・・・。
身体や精神の状態が、マジョリティでない者と比べてできないことがあるという違いだけで、劣等・優等を決めてしまうことは、マジョリティである我々の横暴ではないかと考えています。マジョリティの規範だけで、マイノリティとの上下関係や格差を安易に作ることで、不利益を生み出してしまうことこそがいわゆる障害を持つ方の障害を「障害」とし、その所有者に押し付けているのではないでしょうか。
障害を持つ方を「障害者」としてるのは、何もその所有者である本人がではなくて、実はその当事者をとりまく僕たちがそうしてるのだと、僕はいつも考えています。
職員Fさん(男性)は、風俗に行ったことがあるかどうかわかりませんが、もし行ったことがあるのであれば、なぜ自分は良くて、障害を持っている方は良くないのか?もよくよく、考えてほしいと思います。
僕は行きます。ここ何年も行っていませんが・・・というか行きたいですが・・・そこまで時間やお金を割いてまで行きたい店がない・・・というか・・・飽きた・・・。あ、僕のことはどうでもいいですね。ごめんなさい。
なので、これまで仕事でもプライベートでも、障害を持つ方から「風俗に行きたい」とか「AVを借りたい・買いたい」とか要望があれば、何のためらいもなくほいほいと行ってました。思えば、僕がこの仕事を始めた10年以上も前から、そんな仕事のやり方をしてました。
ふぅ・・・書いてて疲れたから、続きはまた近日ー(´・3・`)=3フゥ