今日は申し訳ないくらい、ゆっくり出勤でした。
地下鉄に揺られながら、さて目覚ましの本でも読もうかと続きページをぱこっと開けると、横におばちゃん×2が着席。
すでにご婦人方は盛り上がってる様子。
どうやら、宗教の話のようでした。
ご婦人A:「どんどんお布施が増えてきてねぇ、こないだ息子の合格祈願にウン十万したら受かったのよーw
ww」
ご婦人B:「それはおめでとうwwwうちもね、ウン十万ほどお布施にかかったんだけど、何にも良いことがなく
てねぇ・・・。」
ご婦人A:「それは大変ねぇ・・・よかったらうちの宗教紹介しよかー?」
ご婦人B:「そうねぇ・・・でも入ったばっかりだから、もう少しがんばってみるわー。あーでもでも、こんなこともあ
ってね」
~以下省略~
この手の話を聞いてしまうと、本当にうんざりしてしまいます。
まるで、金額によって幸せが買えると勘違いしているように聞こえるのは、僕だけでしょうか・・・。
100000000000000000000000000000000000000000000000歩譲ってそうだったとしても、その宗教の神さん?仏さん?が目の前に来て・・・
「いいですかー?見ててくださいね。今から息子さんを合格させますよーっ!」
・・・とゴッドハンドを振るったとしても、僕は認めないです。
「信じる者は救われる」とは良く聞きますが、それだけ信じることができるのであれば、なぜ自身を信じようとしないんでしょうか・・・。なぜ、見えない「不思議な力」にすがろうとするんでしょうか・・・。
それで救われるとしたら、数えきれないほどの宗教であふれるわけがないと思います。
実際に救われてるのは、宗教団体のごく一部の方々だったりするかもしれません。
・・・って思うと、宗教ってどこかギャンブルに似てるなぁとも思いました。
「ここは絶対にでるっ」と信じたお店や新装開店日に、朝早くからならんで大枚をつぎ込む。
お店側と、ごく一部のお客が儲かって、実はそうでない方のほうが大半とか。
お父さんにギャンブルあかんっ!と言いつつ、宗教に家族の健康と幸せのためだと大儀名文を打って大枚を流し込むのは、僕から見ればどっちもどっちなように思えます。
ンマー宗教の自由はあるので、僕には関係ないことでしたね。
そんなことに耳が傾いてしまうのは、読書に集中してない証拠だとむしろ反省しました。
・・・かと思えば・・・
見知らぬ女性Cさん:「あの・・・」
僕 :「なんでしょう?」
見知らぬ女性Cさん:「いつも本、読まれてますね。」
僕 :「あ、はい・・・。」
見知らぬ女性Cさん:「どんな本を読んでるんですか?」
僕 :「えっと・・・こんな本です(本の表紙を見せながら)」
見知らぬ女性Cさん:「うわぁ・・・そんな本読んでたんですね。難しそう・・・。」
僕 :「あ・・・はい・・・。」
見知らぬ女性Cさん:「・・・でも、なんだかすてきです。」
僕 :「はぁ・・・どうも・・・。」
見知らぬ女性Cさん:「では、またです。」
・・・Cさん、すいません。一般人なので気の利いた返しができませんでした。
ンマーとりま合格した息子さんっ、がんばって勉強したんですねw
おめっとー(・ω・ノノ""お☆め(・ω・ノノ""で☆と(・ω・ノノ""☆