毎日新聞5月9日(木)夕刊の「特集ワイド」にあった記事だ。



今から30年前の1994年、南アフリカ大統領に就任したネルソン・マンデラさんは人種隔離政策の撤廃を訴え、27年間も獄中生活を送られた。さぞかし白人優位の社会に怒りや恨みがあったものと思うが、大統領就任後は国家運営上、軍や警察、経済の実験を握っていた白人との協力が必要との判断から「白人のスポーツ」とされていたラグビーを和解と団結の象徴にされる。自国開催となった1995年のラグビーワールドカップで南アフリカが人種の壁を超えて戦い、優勝を遂げたことは「インビクタス」という映画にもなった。

 

そのマンデラさんが「スポーツには世界を変える力がある」とおっしゃったことを記者の田原和宏さんが引用され、日本でも「スポーツには世界と未来を変える力がある」と東京オリンピックの際に謳われたが、新型コロナ禍での開催で分裂した世論や閉幕後に発覚した汚職や談合を思うと、果たしてそう言い切ることができるのだろうかという問題提起をされていた。ごもっともだ。


ここからは私の意見だが、オリンピックやワールドカップも興行が絡めばそこにお金や企業や人が集まって来るし、そういう企業や人はスポーツではなくビジネスをされるのだから、なかなか綺麗事だけでは済まないことも出てくるのだと思う。だから、スポーツに世界を変える力を期待するのではなく、そこでルールを守りながら全力で勝つために戦うスポーツマンにこそ世界を変える力を期待すべきかと思う。


野球なんか見たことないと公言する人も、大谷翔平の話題に乗ると身を乗り出してくる。ずば抜けた能力に恵まれながらも、決して手を抜かない大谷選手の人柄に人々は感銘を受け、未来への希望を感じ取れるのではないかと思う。