昨日、ついにカーネギーホールのステージに立つことができた。合唱を始めた頃から、「いずれはカーネギーホールで歌いますから」と言っては回りを笑わせていたが、まさか、それが実現するとは思っていなかった。そんな事情から、「いやいや、ホンマにカーネギーホールで歌うことになったんです」と言っても、直ぐには信用してもらえなかった。普段から正直でないとイザというときに困るものだ。

 


同志社混声合唱団(東京)を指導くださっている中村先生から「ニューヨーク合唱フェスティバル」に参加しませんか、と尋ねられたときは、10秒程は迷ったと思うが、直ぐに参加しようと決めた。日本から参加する合唱団を組織し、指導と指揮を依頼されたのが中村先生なら安心してご一緒できるし、来年、古希を迎える身としては、できるときにやっておくという思い切りも必要だろう。

 

(1981年、小澤征爾さん)

カーネギーホールは館内の写真撮影を禁じているらしく、唯一、ステージ裏のオーケストララウンジ(出番を待つ部屋)では写真を撮って良いと言われた。そんなに大きな部屋ではなかったが、カーネギーホールで開催されたコンサートのポスターや、カーネギーホールを訪れた著名人の写真が飾られており、それらを見ている内に、間もなくステージに立てる幸運を思い、自然に感謝の念が湧いた。


(1955年、カラヤン)

今回のコンサートには、日本から5つの合唱団、アメリカから2つの合唱団、そして、ウクライナの合唱団、合計8つの合唱団が参加していたが、舞台裏ですれ違うアメリカやウクライナの方々は身体がとにかく大きく、「身体は楽器」ということを証明するような、パワフルな演奏を披露された。対する日本勢は、美しく繊細なハーモニーや豊かな情感を伝えることに秀でていたように思う。

(1981年、バーンスタイン)

 

中村先生が組織された「THEO」という混声合唱団は「飛行機よ」、「鷗」、「種子」、「大地讃頌」の4曲を歌った。この選曲について、中村先生は「最初に歌う『飛行機よ』は大空を眺め、自由に憧れる少年の歌でしょうか。次の『鷗』は同じ大空でも、死ぬことによってやっと自由を得た学徒兵の歌です。そして『種子』は、ルターの『たとえ明日世界が滅亡するとしても、私はリンゴの種を植える』という言葉からヒントを得ています。最後に歌う『大地讃頌』は言うまでもなく、大地の大きな力を謳ったもので、選曲に際して私は平和への祈りを込めたつもりです」と練習時に説明されていた。この説明により団員の気持ちが一つになり、各々の祈りを込めた演奏になったように思う。