高校時代の恩師、饗庭先生が「船長の銀のスプーン」と題する絵を描いておられる。なんでわざわざスプーンなのかと思い、その由来を聞いた。


同志社の創立者、新島襄先生は1864年、函館から密出国してアメリカへと渡られるが、先生をボストンまで運んだワイルド・ローヴァー号には上海で乗船されている。その上海まで先生を送り届けたのがベルリン号という船で、セイボリーという方が船長を務めておられたらしい。国禁を破った先生は見付かれば死罪だし、それを助けた者も罰せられるという時代だったから、セイボリー船長は自らのリスクを承知の上で先生を助けてくださったことになる。

(函館沖に停泊中のベルリン号に向かう新島先生の和船。これも饗庭先生の作品)

さて、新島先生は上海までの航海中、給仕を務めておられたが、セイボリー船長の銀のスプーンをうっかり洗い桶の水とともに海中に捨ててしまう。先生はそれを身振り手振りで船長に伝え、スプーンの代わりに所持していたお金を渡そうとされるが、船長は怒るどころか先生の話を微笑みながら聞き、お金を受け取ろうとはされなかったらしい。先生の誠実なお人柄が伝わったのだろうが、何とも素晴らしい光景ではないか。

セイボリー船長は、その後、先生を助けたことが発覚してしまったことから、それを理由に職を失ってしまう。にもかかわらず、ボストンに新島先生を訪ねたセイボリー船長はそれに関しては何もおっしゃらず、ただただ再会を喜び、先生を励まして帰って行かれたらしい。こういう頼もしい大人との出会いが新島先生を助け、同志社創立を現実のものにしたのだろう。私もそういう大人にならねばと思う。