この本は、2021年の1月から4月に行われた同志社大学での講義をもとに構成されたものだとか。佐藤優さんのお話は校友会のイベントで何度かお聞きしているが、その博識ぶりや独特の視点、分析力には毎回感心させられる。今回も大変勉強になった。



 「産業社会に対応するためには、識字能力と計算能力が必要だ。そういった教育を広く行うことができるのは、国家しかない。国家による教育によって、国民の言語や認識が共通化される。そのようにして国家は文化的に同質な組織になる。そこからナショナリズムの意識は生まれてくるわけだ。つまり、ナショナリズムは教育が発端となっているわけで、その根源が人間の本性にあるわけではない。」

 

確かにそうだ。尖閣諸島周辺の領海に侵入する中国海警局の船や、竹島を実効支配している韓国は許せないと思うが、ほとんどの人は尖閣諸島や竹島には行ったことがないだろうし、この許せないという感情は私たちが自然に自分の家、町、故郷に抱く愛情とは違うように思う。

 

「教育現場でタブレット端末が導入されているが、その危険性に皆さんは気付いているかな? タブレット端末で検索すれば直ぐに答えが出てくる。しかし、検索はできるが自分の頭で考えられなくなる。そうすると子供たちは『ビッグデータやAIの方が自分たちより頭脳が上なんだ』と潜在的に刷り込まれる。将来、新しい形のプロレタリアートを増産するための教育だよね。」

 

恐い話だが一理ある。だから、イギリスやアメリカのエリート層はプラットフォームやアプリケーションを構築する側に回ろうとするし、ビッグデータやAIには敵わないという一般大衆は、だから低賃金で当たり前、という使われる方に回ってしまうという訳だ。う~ん、考えさせられる話だ。

 

救いはフランス革命のスローガン、自由、平等、博愛(佐藤さんはこれを「友愛」に訳すべきとおっしゃっている)に関して述べておられるところだ。「個人的な自由は大切だ。しかし、他人を蹴落としてまで、というのはいけない。ではみんな平等に、となると今度は個人の自由が制限される。自由を目指せば平等がなくなり、平等を目指せば自由がなくなる。その矛盾を乗り越えるものが『友愛』だ。同胞同士で助け合う。この精神が大切だ。国家とか宗教組織など体制的なものが助けると全体主義的になってしまう。そうではなく、民族や人種、階級、それぞれの立場を超えて互いに理解し、助け合うことで近代社会の矛盾を乗り越えていける。」


賢い個人、したたかな個人、そして優しい個人を目指そうと思う。