正月明けに扁桃腺が腫れて声が出なくなり、それが治まったと思ったら、家族の中からインフルエンザ患者が出た。これは私も感染したなと観念し、病院で検査を受けたら陰性との診断。先ずはホッとし、カフェに入って一服した。


しかし、亡くなった母が「病気は生活を見直せというサインなんやで」と言っていたのを思い出す。10年前に比べると体力の低下は明らかだけど、昨日と比較しても差が分からない。だから、ついつい昨日と同じように生活してしまい、少しずつ無理がたまって行くのだろう。

一休みすることを「一服する」というが、この「服」という字は元々「寄り添う」という意味らしい。身体に寄り添うものだから「服」、寄り添って従うから「服従」、困難な状況に寄り添えるようになるから「克服」、なるほど。

そういうことなら、「一服」は一度自分自身の身体や気持ちに寄り添って省みろ、ということか。大切なことだと思うが、怠け者の私は一服が十服にならないようにしないと(笑)