お取引先のA社長と会食した。創業者のお父様の後を継ぎ、立派に会社を切り盛りされている。たまたま社長とは同い年だし、父親が中小企業の経営者だったという点も私と同じだから、今の環境や立場の違いを見ると、どこが違っていたのか、ついつい考えてしまう。私も一度は父の経営する会社に入ったが、A社長のように後継者にはなれず、父の会社を辞めているからだ。

最初は忍耐力の差かなと考えた。父の会社で全く違う仕事を始めたが、それまでに経験してきた仕事や、仕事を通して得ていた興奮や自信を過去のものにできなかった。そこで我慢すれば、新たな興奮や自信が得られたのかも知れないが、私はそれまでの仕事を続けることを選択し、父の会社を辞めてしまった。A社長にも同様のご経験があったかも知れないが、A社長はきっとそこで我慢されたのだろう。だから、私に足りなかったのは忍耐力だと思ったのだ。

しかし、先日、浄土真宗のお坊様から聞かされたお話を思い出すと、私に足りなかったのは忍耐力ではなく別のものだと思えてくる。お坊様はこうおっしゃったのだ。

「皆さんは、過去、現在、未来と時間がつながっているように思って居られるでしょう。私は違うと思います。過去を振り返って反省し、その反省からどんな未来にしたいかを考える。そして、その未来にするために、今、何をすべきかを考え、行動に移すのです。そうです、時間は過去、未来、現在とつながっているのです。」

お坊様のおっしゃる通りだとすれば、私に足りなかったものは、未来を描く力、すなわちビジョンだろう。そういうビジョンや明確な未来像があれば、現在を生きるときに我慢もできるし、耐え忍ぶこともできるということだろう。

さて、今の私に明確な未来像はあるか。それがあれば、もっと今を力強く生きられるに違いない。