合唱団でご一緒させて頂いているMさんから映画のチケットを頂いた。キリスト教の洗礼を受け、同志社で学び、その後、救世軍に入って活躍する山室軍平を取り上げた映画だ。監督は東條政利さん、実は同志社大学柔道部のOBだ。

映画は、貧しい者や弱い立場にある人々の存在に心を痛める主人公が、あくまでも行動ありきという決意のもと、娼妓自由廃業運動や社会福祉事業に取り組む姿を描いている。それを支える夫人や友人など魅力的な登場人物が花を添えるが、吉田清太郎という友人が出てくる。

(同志社のチャペルで共に祈る軍平と清太郎)

同志社に入学するものの授業料を払えない軍平を見かね、清太郎は自分の授業料や生活費から軍平の授業料を捻出するが、そのせいで彼は無一文になり、木の実や死んだ猫を鍋にして食べる羽目になる。作り話かと思ったが、清太郎は実在する人物で、この鍋も実話というから驚いた。

ただ、清太郎も抵抗なく鍋を食べられた訳ではなく、躊躇った末にある聖句を呟いて心を決める。これがその聖句だったかどうかは分からないが、「ローマ人への手紙」第14章にこういう言葉が出てくる。

「主イエスにあって、私が知り、また確信していることは、それ自体で汚れているものは何一つないということです。ただ、これは汚れていると認める人にとっては、それは汚れたものなのです。」

私は納豆も食べられない軟弱者で清太郎には成れっこないが、せめて、この60年余りで築いてきた好き嫌いや思い込み、固定観念から少しでも自由になれるよう努力してみようかと思う。が、やっぱり納豆は勘弁してね(笑)