講釈師、神田鯉風さんの講談独演会を聞きに行った。
講談とは、釈台と呼ばれる小さな机の前に講釈師が座り、張り扇(はりおおぎ)を叩きながらリズム良く話を進めて行く日本の伝統芸能だ。昨年12月、整形外科医のT先生に誘われ講談を聞いたのが最初で、その時の講釈師が鯉風さんだった。
そんなご縁から講談独演会のご案内を頂いたのだが、チラシを読むと、鯉風さん演じる「早起き五十両」は古典落語の人情噺「芝浜」の講談版と書いてある。どうやら落語と講談の間にはネタの貸し借りがあるようで、この「芝浜」は人気があるから講談に貸し出されたのだろう。何やら面白そうな話なので出掛けてみることにした。
その「芝浜」転じて「早起き五十両」だが、魚を天秤棒で売り捌いている商人が主人公だ。商いのセンスはあるのだが、無類の酒好きで失敗が多く、貧しい暮らしをしている。それを妻に咎められ、一念発起して翌朝市場へと向かうのだが、早く着きすぎて市場はまだ閉まっている。やむなく浜辺に出て海水で顔を洗おうとして、水中に沈んでいた財布を見付ける。拾い上げて中を見ると大金が入っているではないか。
喜び勇んで帰宅した主人公は妻にその財布を預けると、仕事に邁進するという決意や約束などすっかり忘れ、早速、仲間を呼んで大宴会を催す。そして、翌朝、「酒代はどうするの?」と妻に詰め寄られ、「昨日預けた財布の金で払っておいてくれ」と答えるのだが、妻は「財布って何のこと?」と聞き返してくるではないか。「昨日俺が拾ってきた財布だ」ともう一度言うのだが、妻は怪訝な顔をするばかりで、「あなた、何か悪い夢でも見たんじゃないの?」と取り合わない。ここに至ってやっと主人公は夢を見ていたことに気付き、現実に戻って青ざめる。しかし、途方に暮れていても仕方がないから、主人公は深く反省すると、酒を断ち、借金を返すために猛然と働き始める。
それから3年経った年の暮れ、主人公は今や一軒の店まで構えるまで成功を収めているが、そんな主人公に妻がある告白をする。実は主人公が財布を拾ったのは夢ではなく、妻はちゃんと財布を預かったのだ。しかし、お金が横領したものだと思われては罪に問われるし、何より働こうと決意した主人公には良くないお金だと思い、役所に届け出たというのだ。そのお金が、持ち主が現れないということで妻の元に役所から返って来たのだ。妻は嘘を付いたことを詫びるが、主人公は逆に妻のお陰でまっとうに働けるようになったこと、又、店まで持てたことを感謝する。なかなか良い場面だ。そして、妻は申し訳ない気持ちから、久し振りに一献傾けてはと酒を差し出すのだが・・・。
いよいよフィナーレを迎える。主人公は盃を手にすると口元まで運ぶものの、少し考えたあと盃を置く。そして、こう呟くのだ、
「止めておこう。又、夢になるといけないから。」
鯉風さん、良い講談でした。ありがとうございました。
