成城学園創立100周年を記念する音楽会が催され、ハイドンのオラトリオ「四季」が演奏された。

 

 

初めて聴く曲で楽しみにしていたが、四季それぞれの特徴や風景が巧みに表現されているだけでなく、その季節を過ごす人々の様子や気持ちが合唱で歌われ、自然の恵みに感謝したり、時には自然と対峙しながらも逞しく過ごす当時の人々が目に浮かぶようで楽しかった。

 

「春」は軽快に始まるものと決め付けていたのだが、不安定で暗い旋律で始まり意外に思っていたら、農夫のシモンが「見よ、去りゆく冬、遠い海へ去りぬ」と歌ったので、去っていく冬が表現されていたのだと分かった。その後、人々は陽気な春に感謝しながら働き始め、丘には百合やバラが咲き、子羊や小魚、ミツバチや小鳥までもが活発に動き始める。そういう春の躍動感が良く出ていた。

 

「夏」は静かな夜明けから始まり、朝陽が出ると鳥が時を告げ、力強い陽の光をめいっぱいに浴びる人々が描かれる。「木陰に憩えよ」と農夫の娘、ハンネが歌うほどに暑い夏の一日なのだろうが、そこに嵐がやって来る。大空に雨雲が広がり、稲妻と風と雨に人々は怯え、逃げ惑う。それを表現する合唱に迫力があり、素晴らしかった。嵐が去ると、再びのどかな風景に戻るのだが、その落差がとても良かった。

 

「秋」は爽やかな秋の風から始まる。若い農夫、ルカスがハンネへの想いを告げると、ハンネが「口の上手い人は去れ」と照れたりするが、恋も実る秋なのだろう。森では狩りが始まり、獲物を追う人々の様子が描かれ、畑では豊作を祝って歌い踊る人々の様子が歌われるが、豊かな収穫に興奮し、安心し、そして感謝する人々の喜びを合唱団が生き生きと表現されていた。

 

「冬」はもの悲しいメロディで始まった。チェンバロの音色が冷たく乾いた空気を表しているようでとても良かった。その後、吹雪の中を歩く旅人が描かれ、夕闇迫る不安の中、家の灯を見付けて安堵する。家の中では暖炉を囲んでの会話が弾むが、やがて春が終わり、夏が去り、実りの秋も過ぎ去って、寂しく厳しい冬の最中にいることを知る。この冬の様子は人生の終盤とも重ねられているのだろう。しかし、そこで人々は神の愛や恵みに気付き、信仰に目覚め、高らかに神への感謝を歌う。その合唱が自信に満ち、力強くて感動した。

 

初めて聴くオラトリオで、今ごろ気付いてお恥ずかしいが、合唱が大事な役割を担っていることが良く分かった。出演されていたオペラ歌手の皆さんはいずれも歌唱力と表現力が豊かで素晴らしかったが、四季それぞれの事象や人々の思いを生々しく表現できるのが合唱団なのだろう。今、私は同志社混声合唱団でハイドンの「天地創造」の練習をしているが、同じような役割を担っているなら、しっかり練習しないといけないと思った。