幾松のある木屋町通りは、読んで字の如く、材木屋が建ち並ぶ通りだったとのこと。幾松もその中の一軒だったが、江戸時代の末期になると、木屋町通りに討幕派の志士が集まるようになったらしい。その理由だが、当時の鴨川は150年ほど放置されて葦が伸び放題の荒れ地で、その鴨川を背にして建つ幾松にいれば、幕府方に急襲された場合、ひとまず鴨川に逃れ、隠れることができたかららしい。納涼床ののどかな風景からは想像し辛いが、そういう厳しい時代だったのだ。
(現在の鴨川と納涼床)
桂小五郎と幾松さんが過ごしたという部屋にも案内してもらった。大きくて立派な長持が置かれていたが、新選組がいきなり踏み込んで来た際、幾松さんは桂小五郎にこの長持の中に隠れるように言い、その前で三味線を弾き始めたらしい。そこにやって来た近藤勇が長持の中を検めようとすると、幾松さんは「屋敷を検めて私に恥をかかせた上、もし、この中に誰もいなかったら、近藤はん、ここで切腹してくれはりますか」と詰め寄ったらしい。近藤勇は長持の中に桂小五郎がいると察しながらも、幾松さんの愛情と度胸に胸打たれ、その場から去ったらしい。
(この中に桂小五郎を隠し、幾松さんがその命を救った)
かように幕府方の探索を受けることが避けられなかったため、この部屋には覗き穴や抜け穴など、さまざまな工夫が凝らされていたとのこと。又、天井は「吊り天井」になっており、仕掛けられた綱を引けば、天井裏に隠されていた二つの大きな石が落下し、天井そのものが落ちるようになっていたらしい。明治23年に石は撤去されたとのことだったが、思わず天井を仰いでしまった。
(続く)

