文藝春秋の新春特別号に、保阪正康先生が「真珠湾、失敗の本質」という寄稿をされていた。保阪先生とは同志社の集まりで何度かお目に掛かり、食事をご一緒する機会にも恵まれたが、昭和の語り部と言われるだけあって実に豊富な知識をお持ちだ。さて、今回は何を書いておられるのだろう。

 

 

非常に印象に残る記述が二つあった。一つは日露戦争に触れられたところだ。

 

「日露戦争を見ればわかりますが、戦争は止め時が肝心です。始めるのは簡単ですが、止めるのはその何倍も難しい。明治の元勲たちは開戦前から勝敗のポイントを見極め、和平の仲介をしてくれそうなアメリカに開戦前から接触をしていました。しかし、太平洋戦争は、まったく違っていたのです。」

 

実際には、戦後に首相となる吉田茂が開戦直後、近衛文麿前首相に中立国のスイスに行ってはどうか、米英からの接触があり和平交渉を始められるはずだ、という進言をしたとのこと。残念ながら、和平を口にすると敗北主義者とか国賊とか呼ばれ、排斥される空気があったことから実行には移されなかったが、そういう冷静な準備も国家の運営には必要だったということか。広島や長崎のことを考えても、もう少し早く戦争を終えられていればと思う。

 

もう一つは、真珠湾から半年後のミッドウェイ海戦で日本は空母4隻を失う敗北を喫し、その後、戦況がどんどん悪化し、敗戦への道を辿ることになるが、それについてこうおっしゃっていることだ。

 

「真珠湾攻撃からの半年を振り返り、日本人が愚かだったからこうなったとは思いません。むしろ、その原因は日本人の真面目さにあったと考えます。」

 

意外な展開にどういうことかと先を読んだのだが、要約するとこうだ。明治以降の日本人は西洋に追い付け追い越せと一生懸命で、商売人も役人も軍人も自分の持ち場で最大限に頑張ろうと必死になってしまった。そうなると、目に見える範囲で物事を考えることが当たり前になり、その結果、大きな枠組み作りが苦手になった。この点、ドイツのヒトラーやイタリアのムッソリーニは「かつての帝国の領土を取り戻そう」という枠組みを提示する独裁者で、結果的には彼らが失脚し、そういう枠組みや大きな目標を失ったイタリアやドイツは降伏するしかなくなってしまう。しかし、日本にはそういう枠組みがなかったので戦争の終わり方も定められず、東條が失脚しても戦争を終えることができなかった・・・これは鋭い指摘のように思う。

 

私自身を振り返ると、経済成長の時代に社会人となり、年々大きくなるパイの中で頑張れば報われるという時代を経験した。しかし、今の時代は闇雲に頑張るのではなく、頑張る場所や方法、その対象を明確にした枠組みがないと、ビジネスも人生も成功しないように思う。そう考えると、真珠湾の失敗は先人の失敗ではなく、どの時代にあっても陥りがちな人間の弱さを表わしているように思う。