1964年の東京オリンピックの年に、坂本九さんが歌った「幸せなら手を叩こう」は日本で大ヒットし、その後、世界に広まってあちらこちらで日本語のまま歌い継がれているのだとか。その「幸せなら手を叩こう」の作詞者である木村利人先生のお話を聞く機会に恵まれた。

 

木村先生は早稲田大学在学中の1959年にYMCA主催の農村復興ボランティアとしてフィリピンを訪れ、現地の青年たちと共に働き始めるが、予想以上に反日感情が強いことに驚かれる。当時の日本は「最早戦後ではない」が流行語になるほど順調に経済成長を続けていたが、フィリピンでは多くの国民が戦争の犠牲になった上、経済も停滞していたことから、日本に対する憎しみや恨みが根強く残っていたらしい。ところが、共に汗を流している内に、戦争で家族をなくしたという一人の青年がやって来て、「日本を憎んできたが、あなたのことを好きになろうと思う。友達になろう」と言ってきてくれたのだという。その時、先生は「戦争をしてはならない。何としても平和を守らねばならない」と切実に思われ、その思いを「幸せなら手を叩こう」に込められたとのこと。

 

そういう先生の熱い思いや温かなお人柄が伝わってきたが、実は、先生はバイオエシックス(生命倫理学)の第一人者で、自己紹介を始められたところ、錚々たる大学の名前が次々に出てきて驚いた。こんな具合だ(↓)

  

1965〜69年タイ・チュラロンコン大学講師、1970-72年ベトナム戦時下のサイゴン大学で研究と教育に従事、1972-75年スイス・ジュネーブ大学大学院教授、世界教会協議会(WCC)エキュメニカル研究所副所長、1975年早大法学部講師、1978年アメリカ・ハーバード大学研究員、早大人間科学部教授、1980年以降ジョージタウン大学・ケネディ倫理研究所・国際バイオエシックス研究部長及び同大学医学部客員教授など約40年にわたりバイオエシックスのパイオニアとして研究と教育に従事。2006から2012年恵泉女学園大学・学長、東京女子医科大学大学院特任講師。

 

因みに、バイオエシックスとは生と死に医療がどのように関わるべきかを考える学問で、遺伝子治療や生命維持、クローンなどがその対象になるとのことだが、先生のお話から、医療技術が進歩した分、生と死については私たち自身が各々しっかりした考えを持たねばならないと思った。

 

(続く)