トランプ候補の過激な主張には危機感を覚えるし、社会主義者を自称するサンダース候補には違和感を覚える。しかし、彼らが話題になるのは最初だけで、選挙戦が進むにつれ本命と言われる候補者たちが存在感を増してくるに違いない、それがアメリカの良心というものだろう・・・そう信じて疑わなかった。
ところが、トランプ候補は共和党のトップを走っているし、サンダース候補もクリントン候補と接戦を演じている。何かおかしい。これまでとは違う。アメリカで学んだり駐在したりしてアメリカ社会を体感して来た人たちも、やっぱり、アメリカらしくないとおっしゃる。一体何が起こっているんだろう。
そんな疑問を持っていたら、友人が東京新聞の「時代を読む」というコラムのコピーをくれた。書かれたのは同志社大学の浜 矩子先生で、タイトルは「希望か幻想か、米国の選択」だ。直ぐに読んだが説得力があった。ストンと落ちたという感じだろうか。下手な注釈を付けるより、そのままの文章をご紹介した方が良いだろう。
「ややこしいことに、どうも、民主党側でサンダース氏を支持している人々と、共和党側でトランプ人気を盛り上げている人々が、かなり似通っているらしい。いずれの候補も弱者たちの人気を博しているようなのである。失業と貧困にさいなまれ、生活苦に追い詰められている。そんな境遇にある人々が両候補に支持を寄せている。なぜなのか。」
浜先生は続ける。
「謎を解くキーワードは『絶望』ではないかと思う。『絶望がもたらす希望』と『絶望がもたらす幻想』が人々を二分している。これが今のアメリカなのではないか。1%の金持ちどものおかげで、我々は99%の貧困層と化すことを強いられている。この絶望的な怒りがサンダース氏の格差解消のメッセージの中に希望の灯を見いだした。対するトランプ氏は成長と強さの経済学を押し出している。アメリカをもう一度最強にする。アメリカン・ドリーム再び。この威勢のいい掛け声が人々を甘い香りの幻想へと誘う。」
どうだろう? 風邪を引いたりして辛い思いをすると「特効薬」が欲しくなるが、そんなに都合の良い薬はない。仮にあったとしても、そんなに強力な薬なら副作用がありそうだ。同様に、スーパーヒーローを求めたくなる気持ちは良く分かるが、問題の解決には国民一人ひとりの忍耐や譲歩も必要だろうし、何より時間が掛かると思う。他山の石で、私たち日本人も気を付けねばいけないことだと思う。
ところが、トランプ候補は共和党のトップを走っているし、サンダース候補もクリントン候補と接戦を演じている。何かおかしい。これまでとは違う。アメリカで学んだり駐在したりしてアメリカ社会を体感して来た人たちも、やっぱり、アメリカらしくないとおっしゃる。一体何が起こっているんだろう。
そんな疑問を持っていたら、友人が東京新聞の「時代を読む」というコラムのコピーをくれた。書かれたのは同志社大学の浜 矩子先生で、タイトルは「希望か幻想か、米国の選択」だ。直ぐに読んだが説得力があった。ストンと落ちたという感じだろうか。下手な注釈を付けるより、そのままの文章をご紹介した方が良いだろう。
「ややこしいことに、どうも、民主党側でサンダース氏を支持している人々と、共和党側でトランプ人気を盛り上げている人々が、かなり似通っているらしい。いずれの候補も弱者たちの人気を博しているようなのである。失業と貧困にさいなまれ、生活苦に追い詰められている。そんな境遇にある人々が両候補に支持を寄せている。なぜなのか。」
浜先生は続ける。
「謎を解くキーワードは『絶望』ではないかと思う。『絶望がもたらす希望』と『絶望がもたらす幻想』が人々を二分している。これが今のアメリカなのではないか。1%の金持ちどものおかげで、我々は99%の貧困層と化すことを強いられている。この絶望的な怒りがサンダース氏の格差解消のメッセージの中に希望の灯を見いだした。対するトランプ氏は成長と強さの経済学を押し出している。アメリカをもう一度最強にする。アメリカン・ドリーム再び。この威勢のいい掛け声が人々を甘い香りの幻想へと誘う。」
どうだろう? 風邪を引いたりして辛い思いをすると「特効薬」が欲しくなるが、そんなに都合の良い薬はない。仮にあったとしても、そんなに強力な薬なら副作用がありそうだ。同様に、スーパーヒーローを求めたくなる気持ちは良く分かるが、問題の解決には国民一人ひとりの忍耐や譲歩も必要だろうし、何より時間が掛かると思う。他山の石で、私たち日本人も気を付けねばいけないことだと思う。