同志社校友会千葉支部の総会で、同志社大学大学院教授、佐伯順子先生の講演を聴いた。題して「明治・大正期のメディアが伝えた働く女性ーハンサム・ウーマンの系譜」、非常に興味深い内容だった。

「全ての職業に女性あり」

明治38年1月6日付の東京朝日新聞が「全ての職業に女性あり」という記事を掲載しており、近代化によって新しく誕生した職業、例えば 工員、教師、記者、作家、医師、看護婦、車掌などへの女性の進出が取り上げられている。当時は女工に対し男工、女医に対し男医という呼び方もあったようで、これらは女性にも開放された職業であったことを窺わせる。

「女医、荻野吟子」

最初の結婚で夫から病気を移され病院で診察を受けるが、男性医師しかいないことに恥ずかしさを覚える。その経験から医師を目指し、数々の苦労や困難を乗り越え、日本で最初の女性医師となる。何という志の高さ。又、彼女は新島襄から洗礼を受けたという13才年下の同志社の学生と再婚しているが、こちらも当時としては珍しい 年下婚だったようだ。

「カリスマ美容師」

女髪結愛子は9才で親元を離れ、14才から修行して17才で自立、その後、恋人である弁護士志望の学生を経済的に支えている。その恋人が見事試験に合格し、愛子は晴れて弁護士夫人となるが、仕事への情熱冷めやらず、仕事を続けている。そして、夫が早逝してからは学生の為の奨学金を個人で始めたとか。まさに女傑。

「今日は帝劇、明日は三越」

その後、男性に経済力が付くようになり、働いていた女性も結婚を機に仕事を辞める寿退社が増えてくる。「今日は帝劇、明日は三越」という広告コピーがあるが、これは女性が社会から家庭に収まって行く流れと、そういう家庭夫人が消費を始めることにより百貨店の女性店員のような新たな職業が生まれるという流れが同時進行していることを示しているのだとか。なるほど。

最後に、先生のところに質問に行った。「男医、女医、男工、女工と男女が就いていた職業がありますが、給料はどうだったんですか?同額ですか?」 先生の答えは、「職業によっては女性の方が評価の高いものもあったようです。しかし、残念ながら、待遇は女性の方が低かったようです。」

世の中の半分は女性で、世の中の消費の大半は女性が鍵を握っている。 それを思うと、景気対策と聞いて公共事業への投資や円安による輸出拡大位しか思い付かない男性なんかに頼らず、この際、女性の発想で新たな商品、サービス、会社、市場を作ってもらうというのはどうだろう。