同志社の校祖、新島襄先生は江戸のお生まれだが、お父上は安中藩士でご実家が群馬県安中市に今も保存されている。その新島邸を校友会のイベントで訪問する機会があった。ご案内下さった地元の方から「今で言えば、2DKというお住まいでしょうか」とのご説明を受けて中に入ったのだが・・・。

新島邸1
(2DKの2部屋)

新島邸3
(ダイニング)

新島邸2
(キッチン)

天気が悪かったこともあるが、室内は薄暗く、特に土間は暗く寒々としていて、当時の下級武士の質素な暮らし振りが窺われた。この家に、新島先生は10年に亘る米国での生活のあと戻って来られたのだが、そのとき、どう思われただろう。

アーモスト
(新島先生が卒業されたアーモスト大学のキャンパス)

単に国力の違いだけではなく、開かれた社会の躍動感、自由が認められた人間の幸福、自らの意志で社会に奉仕する精神・・・そういうものを日本にも根付かせたいと思われたのではないか。その後、新島先生は命を削って同志社の設立に邁進されるが、その決意を固められたのはご両親のおられた実家に戻られたときではないか。そんな気がした。