久し振りに同志社大学のキャンパスを訪れた。

(クラーク記念館)
「あぁ、懐かしい!」と溜め息を漏らす予定だったが、どこを見ても馴染みがない。変だなと思ったが、学生時代を振り返ると、私は毎日ラグビーグランドで勉学に励んでいた(笑) そういうことが許される優雅な時代だったのだ。
ハリス理化学館がギャラリーになっていて、同志社や新島襄先生にゆかりのあるものが展示されていた。それぞれの展示物に歴史を感じさせる趣きがあり、ちょっとしたタイムトラベラーの気分を味わっていたのだが、「自責の杖」と表示された展示物の前で思わず足を止めた。

この話は同志社中学校で聞かされたことがある。「1880年(明治13年)に起こった学生ストライキに関わる一連の責任は校長である自分にあるとして、襄が左掌を強打した杖」だ。新島先生は何度も自分の左の掌を杖で打ち、その衝撃で杖が折れてしまう。新島先生は激しい人だったのだ。
その先生の言葉。
「男子たるものは、一度戦って負けてもやめてはならない。二度目、三度目の戦いのあとでもやめてはならない。刀折れ矢尽きてもなおやめてはならない。骨が砕け、最後の一滴まで流して初めてやめるのだ。」
くじけそうになったとき、読んでみようと思う。

(クラーク記念館)
「あぁ、懐かしい!」と溜め息を漏らす予定だったが、どこを見ても馴染みがない。変だなと思ったが、学生時代を振り返ると、私は毎日ラグビーグランドで勉学に励んでいた(笑) そういうことが許される優雅な時代だったのだ。
ハリス理化学館がギャラリーになっていて、同志社や新島襄先生にゆかりのあるものが展示されていた。それぞれの展示物に歴史を感じさせる趣きがあり、ちょっとしたタイムトラベラーの気分を味わっていたのだが、「自責の杖」と表示された展示物の前で思わず足を止めた。

この話は同志社中学校で聞かされたことがある。「1880年(明治13年)に起こった学生ストライキに関わる一連の責任は校長である自分にあるとして、襄が左掌を強打した杖」だ。新島先生は何度も自分の左の掌を杖で打ち、その衝撃で杖が折れてしまう。新島先生は激しい人だったのだ。
その先生の言葉。
「男子たるものは、一度戦って負けてもやめてはならない。二度目、三度目の戦いのあとでもやめてはならない。刀折れ矢尽きてもなおやめてはならない。骨が砕け、最後の一滴まで流して初めてやめるのだ。」
くじけそうになったとき、読んでみようと思う。