仏教に五眼という教えがあることを知った。辞書によると、1. 肉限、2. 天眼、3. 慧眼、4. 法眼、5. 仏眼の五つで、最初の「肉限」は私たちが持っている眼のことで、最後の「仏眼」はお釈迦様が持っておられた目のことらしい。

これらの間にある「天眼」は三世(過去、現在、未来)十方(四方八方と上下全ての方位)を見ることができる眼で、「慧眼」は因果応報と無常の宿命が見える心の眼力、そして「法眼」は物事をありのまま観て、生けるもの全てを救うことを使命とする菩薩の眼、ということらしい。

仏教徒のくせに不勉強で、正直言うと良く理解できなかったのだが、あるお坊さまが書いておられた言葉が印象に残った。

「肉限は私たちの眼のことですが、目に見えるものは全て見ているなどと思ってはいけません。実際に見ている範囲は狭く、関心の度合いにより見られるものが選り分けられています。」

これはその通りだろう。同じ車に乗っていても、ドライバーと助手席、後部座席に座っているのでは各々見ているものも景色も異なるだろう。同じように、共に過ごす家族や、一緒に学ぶ学生、協力して仕事に取組む仲間でも、関心の対象と見ているものは少しずつ違うように思う。

「天眼は三世十方を見ることができる眼です。難しいことのように思われるでしょうが、人と会ったとき、その人の歩んで来られた人生を思い、ある光景を眺めたり記事を読むときは、過去や未来、世界のことを考えれば良いのです。」

この言葉にはハッとさせられた。最初から「天眼」と聞いた時点で「私には無理、無縁の存在」と諦めていたが、このように言われると、少し想像や思考の範囲を広げるとこれまでとは異なる見え方がしてくるのかなとワクワクしてくる。要は、肉眼に見える人やものにより深い関心や愛情を持てるかどうかで見え方が変わるというより、見方が変わるのだろう。

蓮
(東大キャンパスの中で見付けた蓮)