10年ぶりに老眼鏡を買い替えた。

老眼鏡

老眼も進行するらしく、10年の間に焦点が合わなくなってしまった。少し高い買い物になったが、新しい老眼鏡を掛けると活字や文字がクッキリハッキリ見え、世の中全体が明るくなったように感じる。こんなことなら、もっと早くに買い替えれば良かったとも思うが、多分「老眼」という呼び方に抵抗があったのだろう。

考えてみれば、楽しいことも悲しいことも、美しいものも醜いものも長年に亘って見てきた眼だ。もっとスマートで優しい呼び方はないものか。ボル7案を書いてみる。

「慧眼」
仏教が説く「五眼」の一つで、本質を見抜ける眼なんだそうだ。因みに、五眼とは肉眼、天眼、慧眼、法眼、仏眼で、それぞれに意味がある。長くなりそうなので別の機会に。

「審眼」
美を見極める眼のことを審美眼というから、審という字には善し悪しを見分けるという意味があるのだろう。私たちの年代になったら、もうそろそろ物事の善悪を見極めらるようになっているべきかと思う。

「練眼」
練という字には強くしたり鍛えるという意味があるが、一方では老練という言葉があるように「なれる」という意味があるようだ。柔和に見える眼なのに、見るところはちゃんと見ている・・そいういう大人の眼のイメージ。

「歴眼」
歴史という位だから、歴にはある地点や時点、立場を順次に通っていくという意味がある。歴戦の兵士と言えば何度も戦をくぐり抜けてきたベテランを指すのだろうから、人生のベテランという意味を込めて歴眼はどうか。

と、ここまで考えて、こんな立派な呼び方をされると、逆にプレッシャーを感じてしまうことに気付いた。審眼とか歴眼とか呼ばれながら、「このオジサン、いい年をしてどこを見てるんだ?」とか思われると恥ずかしい。やっぱり、シンプルに「老眼」で行こう(笑)