同志社大学体育会航空部が「翔友」という会報を年一回発行されている。以前、航空部の応援に出掛けたことがご縁で、毎年私にもこの会報を送って下さるのだが、今年は1944年(昭和19年)のご卒業というM先輩の投稿を興味深く読ませて頂いた。私より34年早いご卒業だから、計算すると93歳になられるのだろうか。

M先輩は1940年のご入学だが、1941年12月に勃発した太平洋戦争の影響で学業半ばにして陸軍に入隊、滑空機部隊に配属される。滑空機とはグライダーのことで、既に大学航空部時代に特殊飛行の免状を取得されていたM先輩もそこで改めて厳しい訓練を受けられ、やがて「クー1」と呼ばれる大型滑空機を操縦されるようになる。

私は不勉強で、グライダーと戦争を結び付けて考えることがなかったのだが、第2次世界大戦では兵員や車両を一度に運べる大型のグライダーが輸送や強襲作戦で用いられたとのこと。例えば、落下傘による降下よりも兵員や物資を一箇所にまとめて降ろせるという利点があったようだ。因みに、空中までは九七式重爆撃機が曳航したとのことだが、切り離される瞬間はどんな思いをされたのだろう。

軍用グライダー

1944年7月になると、「クー8」と呼ばれる実戦機が配置され、100名近い特別操縦見習士官が部隊に配属となる。先輩はその人数の多さに疑問を持たれるが、「一作戦一操縦士」と聞かされ、出撃した操縦士が帰還することはなく、だから多くの操縦士が必要なんだと理解される。それでも黙々と訓練の日々を送られたそうだ。

1945年8月15日に戦争は終わるが、もし終わっていなければ、アメリカ軍に占領された沖縄の飛行場に強行着陸し、搭載していた自動車でアメリカ軍の機体を破壊して回るという特攻作戦に出撃される予定だったとか。先輩は命拾いをされた訳だが、毎年の終戦記念日をどのような気持ちでお迎えになっておられるのだろう。機会があれば伺いたいと思った。