「俺が説教したる」が口癖の先輩がおられる。
関東名門校のラグビー部に在籍された一年上の先輩で、社会人チームで共にプレーし、コーチもご一緒させて頂いた。その先輩と久し振りに会った。説教されるのを覚悟して会った。

ところが、食事しながら先輩の口から出てきたのは「負けたのはアンタの責任やとお前に言われた」「慰められるのかと思ったら突き放された」「ちょっと弱音を吐いたら、お前、監督辞めろと俺に言うたやろ」という恨み節ばかりが出てきた。

ボル「私、そんな偉そうなことを言ったんですか?」
先輩「お前、覚えてへんのか?」
ボル「大事な先輩にそんなことを言うとは思えない」
先輩「俺がどれほど傷付いたか」
ボル「しかし・・私、間違ったこと言ってないですね」
先輩「どついたろか」((((((ノ゚⊿゚)ノ

実際、2度ほど頭を小突かれたが、美味しいお寿司をご馳走になったので許す。その後は予定通り一方的に説教され、痛いところを突かれ、隠していたものをほじくり出され、最後には「おっしゃる通りです」と兜を脱がざるを得なくなった。

教えを説くと書いて説教だから、元々は牧師さんやお坊さんが宗教の教えを説かれることを説教と言ったのだろう。では、聴く人を熱くする迫力があったり、心にしみ入るような温かさを感じさせる説教とはどういうものなんだろう。

正解かどうかは分からないが、この先輩と話す度に思うことは「説教とはその人の生きざま次第」ということだ。先輩は自分が在籍した大学ラグビー部の復活を信じておられる。その為に尽力するのがOBの務めだとも信じておられる。そして、同じような思いと愛情が私にもあると信じておられる。

そういう先輩から「お前がやらんで誰がやるねん」と言われると、「誰かがやるでしょう」とは言えなくなるものだ。多分、その人の生きざまが言葉に力を与え、聞く人の心を癒したり、励ましたり、火を点けたりするのだろう。それが証拠に、この先輩に「酒は飲み過ぎるな。仕事が終わったら真っ直ぐ家に帰れ」と言われてもちょっと説得力がないかも。それを言おうかなと思ったが、言えば新たな説教が始まりそうだから、今回は言うのを控えた(笑)

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