例年、その年の干支に因んだことわざを賀状に使わせてもらっている。2002年は「馬の耳に念仏」にすんなり決まったが、今年は迷った挙句「意馬心猿」に決めた。それまで知らなかった言葉だが、煩悩に惑わされ、暴れ馬や騒々しい猿のように落ち着かない様子を表す言葉とのこと。それを目標にするのはおかしいので、「脱・意馬心猿」とし、干支に扮した私が座禅を組む様子を描いた。

(今年の賀状)

(2002年の賀状)
十年一昔というが、12年前は娘たちもまだ学生で、親としての責任があるから、自分のことを考える余裕などなかったように思う。だから、どこかに「まるで馬車馬やな」みたいな意識があり、それが賀状に出たのだろう。当時は喫煙を咎められていたが、堂々と居直っている(笑)
しかし、娘たちも無事社会人になり、最近は自分のことを省みる余裕ができた。好きに生きられる余裕とも言い換えられるだろう。面白いもので、自由に感じる一方で緊張感がある。多分、初めて手にする自由への期待、一方で選択に対する責任、そして未知の世界への緊張感が混在しているのだろう。
今年の賀状を作成したときには気付かなかったが、今こうして見返してみると、やはり新年を迎えるに当たり、そのときの意識が出てくるのかなと思う。

(今年の賀状)

(2002年の賀状)
十年一昔というが、12年前は娘たちもまだ学生で、親としての責任があるから、自分のことを考える余裕などなかったように思う。だから、どこかに「まるで馬車馬やな」みたいな意識があり、それが賀状に出たのだろう。当時は喫煙を咎められていたが、堂々と居直っている(笑)
しかし、娘たちも無事社会人になり、最近は自分のことを省みる余裕ができた。好きに生きられる余裕とも言い換えられるだろう。面白いもので、自由に感じる一方で緊張感がある。多分、初めて手にする自由への期待、一方で選択に対する責任、そして未知の世界への緊張感が混在しているのだろう。
今年の賀状を作成したときには気付かなかったが、今こうして見返してみると、やはり新年を迎えるに当たり、そのときの意識が出てくるのかなと思う。