未だに同志社ラグビーの敗退から立ち直れないので、気分転換に映画「利休にたずねよ」を観に行った。

この映画は直木賞を受賞した山本兼一さんの小説を映画化したものだが、山本兼一さんは同志社で学ばれた方らしい。又、この映画のプロデューサー、森田大児さんも同志社のご出身で、たまたま校友会の行事で知り合ったのだが、これがなかなかの好男子だ。その場で前売り券を買わせて頂いた。

映画は、高麗から渡ってきた薄倖の女性との出会いと別れ、そして、天下人、秀吉との出会いと確執という二つの軸を中心に描かれている。これらを通し、そして、これらが絡み合って利休の人となりが築かれて行き、やがて悲劇的な最期を迎えるのだが・・・。

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「何のためになら命を懸けられるのか」

それがテーマかなと思いながら美しい映像に見入ったが、天下統一を目指す信長に忠誠を尽くし、命まで懸けて出世した秀吉が求めていたものは自分に対する忠誠だったのかなと思う。しかし、そういう秀吉から見た利休は、武力も財力もないのに人々を従わせ感嘆させるという、極めて特異な存在となり、やがて脅威の対象となっていったのではないか。

例えにならないかも知れないが、信長が社長の会社に入社した秀吉と利休が各々の持ち味を活かしながら時には競い合い、時には助け合いながら出世していく。そういう意味では、互いに良き理解者であった二人だが、秀吉が信長社長の後継者になったところで二人の間に亀裂が入り始める。どうだろう?

しかし、元々は互いに尊敬し合える部分を持っていた二人のことだ。秀吉が切腹を命じ、利休はそれに従うが、二人の間には憎しみ以外の感情もあったように思うのだ。だから、もし私がシナリオライターなら、タイトルである「利休にたずねよ」を次のようなラストシーンで出したいと思う。

利休の切腹から数日後のこと、家来が秀吉の元にやってきてこう尋ねる。
「殿、侘び茶の祖と言われている村田珠光という方が『不足の美』という言葉を残しておられます。これはどういう意味でございましょう」
これに対し、秀吉は思わずこう答えてしまう。
「さようなことは、利休にたずねよ」
そして、驚く家臣の表情を見て我に返った秀吉が苦笑いし、複雑な表情を見せる。

山本兼一さんと話す機会があれば、是非、タイトルへの思い入れを聞いてみたいと思う。