内心、「日本は
戦争をしたらいい」と
思っているあなたへ
実にドキッとするタイトルではないか。
衆議院議員、山内康一さん(みんなの党)のブログ「蟷螂の斧」に紹介されていた本だが、最近指摘されている右傾化や安部首相が掲げる改憲論、そして領土を巡る中国や韓国との軋轢につき、各界の識者に緊急提言を求めたものだ。
その識者の中に保阪正康先生のお名前があったので、直ぐに買い求めて読んだ。保阪先生は同志社大学のご卒業で、校友会で定期的にお目に掛かる機会がある。もの静かな紳士で、普段は優しい眼差しをされているが、人と話されるときは目を真正面から見据え、静かな語り口ながらはっきり自分の考えやご意見をおっしゃる。では、戦争について保阪先生はどう考えておられるのか?
「戦争に進む道を歩んでいるときは、威勢のいい意見や声高に愛国心を説くものが、あたかもヒーローであるかに見えるものだが、実際に戦争という時代になれば、「敵国」の人びとを殺生することが目的となり、軍事力はそのための中心軸になっているということだ。敵国の人びとを殺生するということは、「敵国」から私たちも殺生されるとの意味を持つ」。先生は続ける、「お互いに折衝をくり返して、そしてその被害が大きい側、あるいは被害を通りこして壊滅する状態に追い込まれた側が「敗戦」ということになる」。
なるほど、例えば日本は、太平洋戦争で壊滅状態に追い込まれたのだと言われると良く分かる。では、満州事変から太平洋戦争の終結までの間に、どれくらいの被害や損失があったのか。
先ず、人的被害だが、軍人・軍属、一般国民を合わせると255万人が亡くなっているという。又、総軍費は7591億円だが、これを現在の価値に換算すると天文学的数字になるとのことだ。更には、日本軍によって殺害された人たちの遺族はその恨みや怒りを20年、30年、持ち続けるから、戦争の被害は何世代にもわたって継続されることになる。だから、「二十世紀の戦争とは、勝つにしろ負けるにしろ、国家が壊滅的な打撃を受ける政治的選択なのだ」と保阪先生は結んでおられる。
以上、先生は淡々と述べておられるが、最も印象に残った言葉は、「戦争とは国家が壊滅的な打撃を受ける政治的選択」という言葉だ。戦争も一つの政治的選択なのだとすれば、最後の最後まで取ることがあってはならない選択肢であろうし、もっと言えば、この選択肢を取らざるを得ない政治というのは未熟といおうか、お粗末というべきものなのかも知れない。
