坂田さんが大阪体育大学の監督に就任され、5年目のシーズンを迎えられたときのエピソードが出てくる。関西大学Aリーグの試合中にある選手が倒れる、それを見た坂田さんが、「放り出せ!早く代わり入れ!」と大声を出されたとき、「放り出せとは、なんてこと言うんや!」とそれを諌めた方がおられるのだ。
声の主は、坂田さんが高校生の頃から取材をしておられた読売新聞の伊勢武夫さんという方で、更に続けてこうおっしゃったそうだ、「お前のチームの選手が倒れているんやないか、なんで行ってやらない。選手は戦っているんやで」。
坂田さんはこの一言で目覚め、選手をロボットのように扱ってきたのではないかと反省される。そして、それ以後は人間を育てることが監督の仕事だと思うようになられたそうだ。この逸話でも感じるのは、やはり坂田さんには人の言葉を素直に受け容れる力があるということだ。
そして、その4年後の1985年11月17日、大阪体育大学は同志社大学を破る。その朝のエピソードが出てくるのだが、緊張感を持って練習場に行こうとしたら、選手の一人がグランドをバックに写真を後輩に撮らせていたそうだ。それにムッとした坂田さんが、「試合前にチャラチャラしたことするな」と叱ったところ、選手から、「これは親に遺す形見の写真です」と真剣な表情で言われたそうだ。選手たちは命がけで勝とうとしていたのだ。
何度も胸にグッと迫ってくる箇所があったが、ここでは目頭が熱くなった。間違いなく、坂田さんの選手を愛する気持ちや勝負に賭ける執念が選手たちにちゃんと伝わっていたということだろう。
(続く)