関東大震災で早川さんは二人の子供を失っておられる。それだけでは済まず、重傷を負った奥さんまでその後なくしておられる。更には、会社の負債を返済するよう求められ、早川さんはそれまで育ててきた事業を譲渡し、返済に充てておられる。家族も会社も失われた訳だ。


しかし、翌年には会社を再興され、32歳の時に「鉱石ラジオ受信機」、36歳で「真空管ラジオ」の開発に成功され、初めて「シャープ」という名が付けられた真空管ラジオの拡販で42歳の時には564人の従業員を抱える会社にまで成長させておられる。


戦時中は海軍から航空無線機を受注するなど、高い技術力を誇る会社だったようだが、戦後になって会社は倒産の危機を迎える。そして、銀行から融資の条件として人員削減を要求されるが、「人員を解雇するくらいなら会社を解散する方が良い」と早川さんは突っぱねる。この姿勢に労働組合が人員削減に協力し、銀行融資が実現したらしい。先の事業譲渡といい、この会社解散発言といい、早川さんには揺るぎない無私の精神のようなものがあったのだろうか。


危機を脱した早川さんの発明は続く。58歳の時に国産第一号となるテレビの試作に成功、還暦の歳に国産第一号テレビ、TV3-14Tを発売されている。17万5000円だったというから、超贅沢品だったのだろう。69歳でこれも国産第一号となる「電子レンジ」を発売、71歳で「オールトランジスタ方式の電卓」を発売、そして79歳の時、会長に退いておられる。


以上、ウィキペディア情報からの抜粋だが、幼少期の辛い経験から、「事業の第一目的は社会への奉仕」と言い切り、又、商品開発に関しては、「他社が真似するような商品を作れ」が口癖だったという。その遺伝子が脈々とシャープに受け継がれていたとは思うが、もし早川さんが今の事態を見たらどう決断されるだろう。


私には想像すらできないが、少なくとも「中途半端はなし!」のような気がする。どうだろう。