しかし、「自然死」と聞くと何か放置されたような気になって不安になる。医療の力を借りずして、痛みや苦しみに耐えることはできるのか?
この不安に対し、中村先生は極めてシンプルに易しく答えておられる。
「何らの医療措置も行なわなければ、夢うつつの気持ちのいい、穏やかな状態になるということです。これが自然のしくみです。自然はそんなに苛酷ではないのです。私たちのご先祖は、みんなこうして無事に死んでいったのです」
先生によると、「自然死」とは「餓死」のことで、その実体は次の通りだ。
「飢餓」・・・脳内にモルヒネ様物質が分泌される。
「脱水」・・・意識レベルが下がる。
「酸欠状態」・・・脳内にモルヒネ様物質が分泌される。
「炭酸ガス貯留」・・・麻酔作用あり。
すなわち、自然死を迎える際には痛みも苦しみも感じなくてすむように出来ているということなのだ。
しかし、病院に運び込まれと事態は変わる。自らの力では食べ物や水分が取れないと分かると、患者さんのお腹に穴を開けてそこからチューブで水分や栄養を補給する「胃ろう」と呼ばれる措置や点滴、輸血など、いわゆる延命措置が施される。人それぞれに考え方があるのだろうが、何をもって「生きている」と言うのか、そういう思想や信条が問われる場面かなと思う。
フランスでは「老人医療の基本は、本人が自力で食事を嚥下できなくなったら、医療の仕事はその時点で終わり、あとは牧師の仕事」と言われているそうだ。今の私には想像もできないが、もし自分で食事もできないほど弱ってしまったら、家族の負担を憂慮するより前に、家族にそういう姿を見られたくないと思うだろう。そういう意味では、本人の意志を最優先させて良い事柄のように思う。
以上、どのように死ぬのかを考えさせられる本であったが、それは結局、どのように生きるのか、どのように生きたいのかを問われているのかも知れない・・・・最後にそう思った。
