保阪正康先生が書かれた「八重と新島襄」を読んだ。


ボルネオ7番のブログ-八重と新島襄


保阪先生とは校友会の集まりで時々ご一緒し、お話する機会がある。笑顔の優しい温厚な紳士で、淡々と話されるのが印象的だ。ところが、時折目が合うと、こちらがドキッとするような鋭い目をされていたり、静かな口調の中に同志社への熱い思いがほとばしったりと、いつも快い緊張感を味あわせて下さる方だ。


この本はそういう先生のお人柄がにじみ出ている作品で、丹念に調べ上げられた資料に基づき、先生なりの解釈や理解を示して下さっている。又、主役は八重さんと新島先生なのに、お二人と縁のある方々のことを大切に記述されているので、八重さんと新島先生が過ごされた時代や空間を生々しく想像することができる。さすが、保阪先生。


さて、八重さんと新島先生は明治8年、京都で出会っておられるのだが、保阪先生の文章をお借りすれば、「この時代の京都にあって、会津藩というのは単に朝敵であるだけでなく、京都守護職という容保の役割が新政府の側には許しがたい存在として印象に残っていた」ので、さすがの八重さんも鉄砲を担いで官軍と戦ったことなど、とても口にはできなかったことと思う。


ところが、八重さんは新島先生と2回目に会われた際、何と会津籠城の話を新島先生にされたというのだ。八重さんが新島先生を心から信頼されたことに間違いはないのだろうが、保阪先生はこれをこう表現されている。「八重は襄のそれまでの生き方の中に、自分たちと通じる何かを見たのだ」。


そして、本を読み進むにつれ、保阪先生がおっしゃりたかったことが分かってくる。「同志社」の同志とは、まさに八重さんと新島先生のことだったのだろう。妻が八重さんじゃなければ、新島先生は志半ばで挫折されていたかもしれない。同じく、夫が新島先生でなければ、八重さんは支えようとは思われなかったことだろう。


読み応えあり('-^*)/