「大人になること」

いわさきちひろさん(1918~1974)の言葉。


人は良く若かったときのことを、特に女の人は娘ざかりの美しかったころのことを何にもまして良いときであったように語ります。けれど私は自分を振り返ってみて、娘時代が良かったとはどうしても思えないのです。といっても何も私が特別不幸な娘時代を送っていたという訳ではありません。戦争時代のことは別として、私は一見、幸せそうな普通の暮しをしていました。好きな絵を習ったり、音楽を楽しんだり、スポーツをやったりして良く遊んでいました。


けれど生活を支えている両親の苦労はさほど分からず、何でも単純に考え、簡単に処理し、人に失礼があっても気付かず、何ごとにも付和雷同をしていました。思えば情けなくも浅はかな若き日々でありました。ですから、いくら私の好きな桃色の洋服が似合ったとしても、リボンのきれいなボンネットの帽子を可愛くかぶれたとしても、そんな頃に私は戻りたくはないのです。ましてあの頃の、あんな下手な絵しか描けない自分に戻ってしまったとしたら、これは正に自殺ものです。


もちろん今の私がもう立派になってしまっていると言っているのではありません。だけどあの頃よりはましになっていると思っています。そのまだましになったと言うようになるまで、私は二十年以上も地味な苦労をしたのです。失敗を重ね、冷や汗をかいて、少しずつ、少しずつものが分かりかけてきているのです。なんで昔に戻れましょう。


少年老いやすく学成りがたしとか。老いても学は成らないのかもしれません。でも自分のやりかけた仕事を一歩ずつたゆみなく進んでいくのが、不思議なことだけれどこの世の中の生き甲斐なのです。若かった頃、楽しく遊んでいながら、ふと空しさが風のように心をよぎっていくことがありました。親からちゃんと愛されているのに、親たちの小さな欠点が見えてゆるせなかったこともありました。


いま私はちょうど逆の立場になって、私の若いときに良く似た欠点だらけの息子を愛し、面倒な夫が大切で、半身不随の病気の母にできるだけのことをしたいのです。これはきっと私が自分の力でこの世を渡っていく大人になったせいだと思うのです。大人というものは、どんなに苦労が多くても、自分の方から人を愛していける人間になることなんだと思います


ボルネオ7番のブログ-ちひろさん 3
(いわさきちひろさんの絵)


どんなに苦労が多くても、自分の方から人を愛していける人間こそ大人」・・・素晴らしい定義だと思う。いわさきちひろさんはそういう大人だったから、子供たちを優しく見守り、生き生きと描くことができたのだろう。


ラテン語の adultus は英語の adult になって少し肩身の狭い思いをしたが、日本語の、というより、いわさきちひろさんの大人の定義で名誉挽回というところか(^O^)/