新約聖書の「ヨハネによる福音書」に出て来る話を紹介されていた。


姦通の現場で捕まった女がイエスの前に連れて来られる。

姦通はユダヤ教では石打ちの刑だ。保守的なユダヤ教徒がイエスに、

「さあ、お前はこの女をどうするか?」

と尋ねる。


イエスが「釈放してやれ」と答えると、イエスはユダヤ教の律法に楯突く反逆者になる。反対に律法の掟通りに石打ちの刑にしろと言えば、それまでイエスが説いてきた「神の愛」の教えを否定することになる。保守的なユダヤ教徒は、イエスをそういうジレンマに立たせるために、そのような質問をしたのだ。では、イエスはどう答えたか?


「あなた方の中で罪のない者が、まずこの女に石を投げつけるがよい」


その言葉で、その場にいた者は一人去り、また一人去って行く。最後に、イエスは姦通をした女と二人だけになる。そして、イエスは女にこう言う。


「わたしもあなたを罰しない。お帰りなさい。今後はもう罪を犯さないように」


考えさせられる逸話ではないか。ひろさちやさんは、こう結んでおられる。

「人間はみんな不完全だ。完全な人間なんていない。それなのに、自分の不完全さを棚上げにして他人の不完全さを糾弾する。そういう「善人」(実際は偽善者)の身勝手さをイエスは叱るのです」。


おっしゃる通りです。

もし私がそういう場に居合わせたら、ラグビーでも見せなかった猛ダッシュで誰よりも早く、その場を去ることをお約束します!('-^*)/