「善人」のやめ方

ひろさちやさんの著書。


タイトルだけでも十分過激だが、帯に「怠けて生きて何が悪い」という挑発的な言葉が躍る。ひろさちやさんは一体どうされたのか?


ボルネオ7番のブログ-善人のやめ方


ちょっと心配しながら読み始めたのだが、やがて、カギ括弧を付けて「善人」と書かれた理由が分かってくる。ここでいう「善人」とは、世間が勝手に作り上げた善人像であり、もっと言えば、世間や他人の目を気にして自分に強いる善人像でもあるのだろう。


ひろさちやさんは、自分の人生は自分で作り上げろ、そして、自分がそれで良いと思えれば十分だ、他人がどう思うが関係ないと説く。そして、分かり易い例を上げて居られる。


小学生が校庭で遊んでいるときには、「うちの学校の運動場は狭いなぁ。もっと広ければ良いのに」と思います。ところが、校庭を掃除させられると、「なんて広い校庭なんだろう」と溜め息が出ます。「広い運動場」「狭い運動場」といったものがある訳ではありません。それを「広い」と見るか「狭い」と見るか、その物差しは自分が持っているんです。


自分の物差しで見ることができれば、仕事も恋愛も人生も、異なる見え方になるだろう。そして、自分の物差しで選択した幸せを追求する勇気を持てば、案外簡単に幸せになれそうな気がする。