「サイレント・マジョリティ」という言葉があった。


アメリカのニクソン大統領が演説で使ったのが最初らしく、ベトナム戦争に反対する学生たちに対し、大多数の国民は声にこそ出さないが政府を支持しているはずだ、という意図で使われたらしい。


同じような政治的意図から、日本でも政治家が使い始めたらしいのだが、当時学生だった私にとっては、「政府や勤務先に多くを要求せず、黙々と働く真面目な人々」こそがサイレント・マジョリティで、そういう意味では、両親もその一員だったと思う。


今から思えば、黙々と働いていれば生活の向上が望める経済成長も背景にあったが、何より、物言う多数派を形成しようにも、一般の市民が連携して多くの人を集める方法がなかった。マスコミは一方通行だったし、手紙や電話は範囲が狭く、実際に人を集めるとなると集会場の収容人数の限界もあったろう。


そう思うと、世の中は本当に変化した。私はこの方面に音痴だが、facebook や twitterなど、内容によっては多くの人々を瞬時に動員できるツールが発達し、今やサイレント・マジョリティという言葉が死語なった観すらある。


ただ、マジョリティがその力に頼んで多くのことを要求し過ぎると、それに応える側の人や組織は大変になるだろう。その点、両親の教えはシンプルでストレートだった。


「自分のことは自分で!」


人や企業、銀行、そして国家も回りの支援を必要とする危機的状況に陥ることはあるだろう。しかし、それも度が過ぎると、自分のことは自分で何とかしている「サイレント・マイノリティ」に申し訳ないように思うのだ。


そんな気分で本屋に行った際、見つけた本(↓)


ボルネオ7番のブログ-サイレント・マイノリティ