テリー伊藤さんが書いた「なぜ日本人は落合博満が嫌いか?」を一気に読んだ。不思議なもので、落合元監督への関心が高まったまま本屋に行ったら、いきなりこの本が目に入ってきた。人間は何かに興味を持つと、視力や視野が変わるのかも知れない。


ボルネオ7番のブログ-采配



そのままカフェで読み始めたのだが、落合元監督の言葉は打球に例えると「ライナー」だろう。緩やかな放物線を描くこともなく、地面に当たってイレギュラーにバウンドすることもなく、一直線に胸に突き刺さる。


例えば、孤独に勝つ強さを持つにはどうすれば良いか。

落合元監督はこう答える。


「向上心より野心を抱け」


どんなライバルも蹴落とし、何がなんでもレギュラーポジションを取ってやるという気持になるには向上心では間に合わない、野心が必要だ、と説く。その通りかと思う。向上心という響きには真面目な努力とそれを認める指導者の存在を感じるが、野心は一人で抱き、一人で大きくしたり、尖らせたりするものだろう。


もう一つ。人間の成長に必要な「心技体」の順番に落合元監督は異を唱える。彼が正しいと思う順番はこうなる。


「体技心」


これは直感で正しいと思った。スポーツで最初に求められるものは体力だろう。しかし、体力だけで勝負できるスポーツなど一つもなく、野球なら走攻守それぞれに求められる技術があり、それらが通用して初めて勝負に臨む心の準備が整うのだと思う。何となくだが、心から始まる心技体は日本的、体から始まる体技心は米国的だと思う。


これは面白い読書になりそうだ。