大学ラグビー部の先輩が亡くなられ、お通夜に参列した。
会場に着くと賛美歌が流れ、美しい生花に飾られた十字架があるのに気付いた。先輩はクリスチャンだったのだ。先輩が学徒出陣され、戦闘機に乗っておられたこと、九死に一生を得て復員されたことは存じ上げていたが、クリスチャンであったことは初めて知った。
キリスト教の死生観からすると、先輩は天国に召され、永遠の命を授けられたことになるのだろうか・・・。しかし、今の私には「人生は一度きり」の方がしっくり来るし、神の御許に旅立たれたことよりも、先輩はこの世の人生に満足されていたのかどうかが気になった。
というのは、戦後、ある上場企業に勤務された先輩は目覚しい活躍をされ、どんどん出世もされるのだが、60才を前に脳梗塞で倒れ、懸命のリハビリにも拘らず半身にマヒが残ってしまうのだ。学生時代は名CTBで鳴らした先輩だけに、自由にならない身体に忸怩たる思いをされていたのではないか、と私は思っていたのだ。
しかし、挨拶に立たれた息子さんは意外なことをおっしゃった。「父はやりたいことは全部やったと思います」。親友の方もこうおっしゃる、「彼は片手でゴルフを楽しんだ。車の運転もして、私の家まで来た。クラス会の幹事も自ら引き受けていた」。
息子さんは挨拶をこう締めくくられた、「父には勝てないなぁ、と思うことがありました。それは、起こってしまったことを淡々と受け容れるということです。辛いこともあったと思うのですが、どんなときも父は弱音を吐かなかった」。
息子さんのお話を聞きながら、自分の信じる宗教や死生観に拘らず、やはり今の人生をしっかりと生き抜くことが大事なんだと思った。
合掌。
